90sJPOP文化論

~90年代に10代だったオトナたちへ 90年代にヒットした曲を具体的に取り上げながら、音楽的側面と言うよりもむしろ、時代・文化的な側面から雑考するブログです。

ミスチル現象とヒットからの逃避行

【#013 innocent world / Mr.Children (93年)】 の考察 /2018.12.13_wrote

ミスチル5枚目のシングルにして、初のオリコンチャート1位を記録し、その後のミスチルを決定づけることになる曲。
アクエリアスネオ/イオシスのCMのタイアップでもあった。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<3曲で、頂点へ

 

中学時代。我が家の朝食の席でよく目にするCMがあった。
矢崎建設だったかと思っていたが、Wikipediaで確認したら矢崎総業という会社のCMだった。
このくらいの記憶なのだから取り立てて特徴のあるCMというわけではなかったが、
CMに流れる曲と、そこに記載されている「♪Mr.Children」という文字が気になっていた。

 

予兆は、あった。
ReplayがポッキーのCMとして使用されたのち、
ドラマ「同窓会」のタイアップとしてリリースされたCROSS ROAD。

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さわやかさな曲調と伸びのあるメロディーはそのままだが、
それまでリリースしていた純粋なラブソングとは少し違った、
恋愛を織り交ぜながらも
理想と現実、その先の自分を見つめるような視点は、今のミスチルの原型のように思える。

 

このCROSS ROADが
ドラマ「同窓会」の終了後も順位をじわじわとあげていき、
異例のロングヒット。
果たして本物なのか?一発屋なのか。
この得体の知れないバンドの次のシングルに対する期待度は高まっていた。

 

そんな中、
ちょうど溜まったマグマが噴火するように、
突然(といってもいいと思う)世に放たれたのがこの曲だ。

 

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いつの日も この胸に 流れてるメロディー

 

映像の印象は薄いCMではあったが、
それだけに音楽の印象は圧倒的だった。
私だけではない。
学校へ行けばクラスの友人たちがあちこちで
「ミスチルの新しいの、聞いた?ヤバイ!(←当時はヤバイ!って言葉ないですね)」
「あの、イノ・・・なんたらワールド!」
となるぐらいにCM15秒で日本を釘付けにして見せたのだ。

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その後もアルバムAtomic Heart、
6thシングルtomorrow never knowsとモンスターバンドとしての地位を確立することになるのだが、
その間、1年。(※CROSS ROADの発売からtomorrow never knowsの発売までがちょうど1年)
デビューからわずか2年、わずか24歳のシンガーソングライターが、
たった3枚のシングルで音楽業界の頂点へ登りつめたのだ。

  

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 <歌詞にみる多彩な技巧>

 

ミスチルの歌詞表現の多彩さは目を見張るものがある。
この曲以前のシングルでも、

 

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笑顔とテヘペロの自己主張

【#012 Eyes to me/彼は友達 / DREAMS COME TRUE (91年)】 の考察 /2018.12.20_wrote

ドリカム9枚目のシングルにして、オリコンチャート初の1位を記録したこの曲。
歌詞の中の「SMILE」をキーワードに展開されたフジカラーのCMのタイアップでもあった。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<14歳のSMILEと25歳のSMILE

 

こっち向いて笑って
照れないでSimle, Smile, Smile

 

伸びやかなボーカルと、爽やかな世界観が広がるこの曲。
文字通りドリカムの人気を決定づけることとなった曲だが、

人気に火をつけたのは、このCMだろう。

 

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当時宮沢りえ、牧瀬里穂、とともに3Mとして
人気を博した観月ありさ。

タレント×いい歌。
シンプルなCMだ。
そもそも「伝説の少女」である。ややこしい話など必要ない。


「SMILE」をコピーに、
観月ありさの「SMILE」と吉田美和の歌う「SMILE」が重なり、
タイアップとしては完璧なまでに歌の存在感が強く残る。
SMILEの印象が強く、当時この曲のタイトルを正確にEyes to meと覚えている人は少なかった。

 

それにしても、観月ありさ、14歳。
なんとも純粋な笑顔である。*1
そんな観月ありさにぴったりのSMILEイメージが、
ちょうどその頃テレビでも見かけるようになった
DREAMS COME TRUEのボーカル本人にもまさにぴったり当てはまるのだ。

 

吉田美和。25歳。

 

曲の印象そのままに。
とにかく、大きな口を開けて、笑顔で、伸びやかに歌う人だなぁ。
という印象だった。

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(そういえば、TIMEの表紙を飾ったりもしましたね)

 

そして、
そんな彼女をフロントに二人の男性が支える編成。
歌の中に出てくるさまざまな恋愛模様をそこはかとなく感じさせるような不思議なトライアングル構造は、
のちに「ドリカム編成」という言葉として音楽の域を超え一般化するほどの影響力であった。

 

 

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 <吉田美和の歌詞世界>

 

ドリカムの歌詞世界は新鮮だった。

 

難解で複雑な抽象性を繰り広げるでもなく、
散文的にさまざまな想い情景を散りばめるのでもなく、
基本的に、ひとつのシーンを(一回のデートとか)を平易な言葉で丁寧に描き出す。

 

青いシャツを着てから出かけて写真を撮るこの歌も、
一見するとなんの変哲もない日記的歌詞になりそうなのだが、

 

情景と感情/自分の想いと相手の視点/広がる景色と小さな変化。

 

この自由な往来により、
ひとつのシーンを多面的に描き出し
目の前の情景を圧倒的に豊かなものに変質させてしまうのだ。
*2

 

*1:観月ありさは実に8年もフジカラーのCMを続けることになる

*2:感覚的には、中央高速を走っているドライブのワンシーンを、気持ちと景色の動きをシンクロさせて描く歌詞が印象的な「中央フリーウェイ」などを書いている松任谷由実の歌詞に近いかも

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ダサカッコいいのスタート地点

【#011 ごきげんだぜっ ~Nothing But Something~/ DA PUMP (98年)】 の考察 /2018.12.13_wrote

沖縄アクターズスクール出身のメンバーで構成された初期DAPUMPの4枚目のシングルであり、
プロデューサーである富樫明生がm.c.A.T名義で95年に発売した曲のカバーでもある。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<バージョンアップするm.c.A・Tワールド

 

富樫明生プロデュースのもと
本人のカバー、
Feelin Good It’s Paradiseでデビューし、その翌年のシングル。

それが、この、ごきげんだぜっ!である。

 

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Love Is The Final Liberty、Stay Togetherと
2曲のオリジナルを立て続けにリリースし勢いに乗っていたとは言え、
4枚目のシングルであるこの曲もm.c.A.T.こと富樫明生が3年前に歌った曲のカバー。

 

実に再利用率50パーセント!
環境省もびっくりのエコシステムである。

 

通常カバー曲といえば、
ある程度時間の経った名曲の再解釈だったり、
その歌い手の世界観に合わせて大幅にアレンジ変更を施したりするものだが、

曲調も雰囲気もほぼ原曲そのままである。

 

それを新しい人が歌うだけで
オリコンチャートに再度送りこむことができるのだとしたら、
そりゃ、ごきげんなものだ。

 

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90年代JPOPの同時代共有感覚

【interlude #001】 /2018.12.06_wrote

なぜこのブログを書こうと思ったのか。
なぜ90年代を取り上げようと思ったのか。
今の音楽シーンと90年代の音楽シーンを比較してみることで一度整理してみたい。

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2019年の音楽模様

 

2019年。

今でも、ヒット曲は生まれ続けている。

 

動画サイトからデビューした日本酒みたいな名前の背の高い人や、

アディダスジャージ着て歌う人。

役者としても活躍しながら自ら歌うドラマのエンディング曲で難しい振り付けを踊る人。

LINEリリックMVでメンヘラ臭たっぷりでも女子共感をかっさらう人。

全然、というか前前…棒読みだったり極みだったりさらにはピエロの格好含めてまるっと流行りの声質の人々。

さらには

マトリックスのエージェントスミスのように増殖し続けるアイドルグループや、

同じく増殖するエージェントスミスをいかつくしたように増えてレモンサワーで乾杯のダンスユニットとか。

90年代の伝説のアーティストとコラボする人たち。

長年の休止を経て復活する人。

そしてもちろん、90年代から第一線を走り続ける人たち。

 

邦楽と洋楽の境もあまり無くなったように思える。

 

当初は洋楽推しだったJ-waveにしても、

邦楽の扱いが大幅に変わってきていると言えるだろう。

事実、2000年に椎名林檎が初めて1位を取って以来、

スガシカオ、平井堅あたりが続き、

その辺りから邦楽アーティストのランキング進出率は高まっている。

 

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(・懐かしいですねぇ。この頃からJ-waveの邦楽上位率が上がっていったような気がします)

 

 

まさに多様性社会。

YoutubeやSNSの爆発的普及により

誰もが同じ曲を聴く必要は無くなった。

 

自分がいいと思う曲を自分で掘り下げていけば関連の情報はあるし、

好みでない音楽が暴力的に入り込んでくるような社会現象もあまりない。

 

よく、昔ほどのヒットが生まれないという記事があるが、当たり前の話である。

他人の聴く曲と自分の聴く曲が違うのだから、マスなんてものが存在しないのだ。

 

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ナンセンスと小宇宙

【#010 おどるポンポコリン/ B.B.クィーンズ (90年)】 の考察 /2018.11.29_wrote

アニメ「ちびまる子ちゃん」の初代エンディングテーマであり、90年唯一のミリオンヒットとなる曲。
ビーイング企画による覆面ユニットB.B.クィーンズのデビューシングルにして最大のヒット曲でもある。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<国民的アニメの開始とともに生まれた国民的ヒット曲

 

歴史的名曲は思わぬ角度からやってくる。

 

1990年。
光GENJI(88年)、PRINCESS PRINCESS(89年)と台頭するアーティストのヒットが続き、
カセットの売上とCDの売上がほぼ同格となった年。*1

米米CLUBやLINDBERG、たま、THE BLUE HEARTSと活性化していたJPOP界。

 

しかしそれらの面々を抑えて、その年の年間1位を圧倒的大差で勝ち取ったのが、
B.B.クィーンズのこの曲、「おどるポンポコリン」である。

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2位の浪漫飛行の61.9万枚に対し、倍以上の130.8万枚を売上をあげ、
その年の賞レースを独占したこの歌が、
当初、覆面ユニットであったことは驚きだ。*2

 

しかし。
それは音楽業界とCDの売上だけを俯瞰した時の話。
この曲は、もっと別の星から現れた異物だったのだ。
当時いかなるアーティストよりも、圧倒的な認知と波及力を持っていたもの。

 

それがこの年に誕生したアニメ、「ちびまる子ちゃん」である。

 

日曜の夕方に現れたこのアニメは、
アニメ開始からすぐさま国民的ポジションを勝ち取ったのである。
(同年最高視聴率39.9%、
 1月のオンエア開始時8社だったキャラクター商品化の権利が、
 5月には31社になったという過熱ぶりから見ても、
 いかにこのアニメの波及力がケタ違いだったかがわかるだろう)

 

*1:https://gigazine.net/news/20110829_music_industry_change/

*2:年間チャート1位のミリオンヒットはその後2002年まで続くことになる

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ポカリCM黄金期と職人芸

【#009 いつまでも変わらぬ愛を/ 織田哲郎 (92年)】 の考察 /2018.11.22_wrote

90年代を代表する作曲家、織田哲郎のアーティストとしての13thシングル。
ポカリスエットのCMソングとして使われ、自身唯一のオリコン1位を記録した大ヒット曲。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<ポカリスエットCM黄金時代

www.youtube.com

 

美少女の一過性のキラキラと夏という黄金比。

それに音楽を重ねて15秒の映像に閉じ込める。

 

宮沢りえを皮切りに、一色紗英、中山エミリと続くポカリCM黄金時代の幕開けである。

 

圧倒的イメージキャラクターに加え、

その後も

揺れる想い(ZARD)/瞳そらさないで(DEEN)/突然(FIELD OF VIEW)と続く

ビーイングのタイアップソング。(もちろん作曲はすべて織田哲郎)

 

この曲は

その後も長いこと続く、「ポカリ=青春」的世界観を作り出した歌といってもいいだろう。

 

果てしなく広がる空に、

カッコよさげなおじさんがすっと立つジャケット。

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歌詞放棄の衝撃と脱ラブソング

【#008 YAH YAH YAH/夢の番人 / CHAGE & ASKA (93年)】 の考察 /2018.11.15_wrote

SAY YESから数えて5枚目、CHAGE&ASKAの31枚目のシングル。
オリコン史上初となる同一歌手の2作目のダブルミリオンを記録した大ヒット曲。
三谷幸喜の出世作、振り返れば奴がいるの主題歌であった。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<時代のフロントランナー、チャゲアス>

チャゲアスを知ったのは、101回目のプロポーズのタイアップ曲、SAY YESだった。
おそらく大抵の10代も同様だったのではなかろうか。

 

しかし、このYAH YAH YAHがリリースされている頃にはすでに、
元々前からいる大御所のような存在として認識していたような気がする。

 

とんねるずと卓球勝負をしていたアルフィーが、
曲は知らないのに古くから大御所として理解しているあの感覚。
とでも言ったらいいだろうか。

時代的なものもあるのだろう。
SAY YESがヒットチャートを転げ落ちる前にすぐに、
僕はこの目で嘘をつく、そしてSUPER BEST2、
そこからまたシングルと休む暇もなく次から次へチャゲアスチャゲアスという具合で、
むしろ耳にあの声が入ってこないことがないくらいに日本中がチャゲアス感染していた。

 

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(とにかく、売れてましたねぇ・・・)

 それに加え、
SUPER BEST2が出た時点で、すでに「2」であること
(え?もう一枚ベスト作ってるレベルのキャリアなの!?という驚き)や
ウッチャンによるあの納豆をネバネバのばすような歌い方の物真似、
普段あまり音楽を聞かない両親ですら知っていることなども積み重なり、
新しく音楽を聴き始めた人間にとっても、チャゲアスはすでに大御所だったのだ。

そしてこの曲はまさに、
そんなチャゲアス全盛期の頂点に君臨する曲なのである。

 

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 <サビの歌詞放棄の驚き>


当時何より衝撃的だったのがサビの歌詞だ。
歌詞・・・?

歌詞といいながら文章でないし、単語ですらない。
意味を持たない単音の繰り返しである。
曲の一番盛り上がるところが、YAHが14回繰り返されるだけなのだ。

 

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冬の女王とハイキーのマリアージュ

【#007 ロマンスの神様 / 広瀬香美 (93年)】 /2018.11.08_wrote

93-94年の冬のアルペンCMソングとして、オリコンチャートに彗星の如く現れた広瀬香美の大ヒット曲。
3枚目のシングルにして冬の女王の称号を獲得した彼女の出世作。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<ホイチョイ終焉後のゲレンデ模様>

10代前半の私がゲレンデを体験したことなどなく、
当時のゲレンデのイメージは、かなりざっくり言ってしまうと、
ユーミンとねるとん紅鯨団によって培われたものだったと思う。


つまり、苗場リゾートに代表されるようなバブル的ゲレンデ観。
そこに、バブル~月9を中心に描かれた女性主導の恋愛観が重なるのが、
アルペンのCMであり、この曲だ。

 

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・週休二日 しかもフレックス…
・年齢住所 趣味に職業…
・土曜日遊園地 一年たったらハネムーン…

 

バブルは弾けても、音楽業界はまだまだバブルだと言わんばかりの様子の歌詞が
当時の大人たちにはどう映ったのだろうか。
リアリティの無さに笑っていたのか、リアルさに幻滅していたのか。

 

ただ、当時中学生の私には、
このあっけらかんと並ぶキッチュでコミカルな歌詞が
意味を超越して、大人の喜劇的側面と社会人に対する漫然とした憧れを映し出していたのだ。

 

 

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 <圧倒的キャッチコピー、冬の女王>

カラオケでこの曲を歌う女子が
後半のサビあたりで「もういいや」と演奏中止を押す姿を

何度か見たことがある人は私だけではないはずだ。


・・・いやぁ、高い。

 

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音楽バラエティと遊びの余白

【#006 愛は勝つ / KAN (90年)】 /2018.11.01_wrote

KANの8枚目のシングル。元々はテレビ朝日の番組のエンディング曲だったらしいが、
邦ちゃんのやまだかつてないテレビの挿入歌に起用されたところから火がつき、91年日本レコード大賞を受賞した大ヒット曲。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<やまだかつてないテレビという存在>

愛は勝つを知っている人は、
たいていこの曲もセットで知っているのではなかろうか。

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(確か本人が歌ってて絶妙なタイミングでベルトコンベアーで料理が運ばれてくる映像が
 あったと記憶してるのですが、どなたか知らないですかね?)

 

愛はチキンカツ。

 

いきなり替え歌からで失礼したいが、
音楽の話の前に、この番組について触れないわけにはいかないだろう。
「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」。

そもそも女性芸人(正確にはバラドル?)で、
プライムタイムに自分の名前を冠した番組を持つ人など
それ以前もそれ以降もいないのではないだろうか。
それほどまでに当時の山田邦子の存在は圧倒的だった。

さまざまなパロディコントやモノマネを交えたバラエティでありながら音楽の要素は色濃く、
大江千里、森口博子、永井真理子など、
ミュージシャンや歌える人達が数多く出演していた上に、
番組発の音楽もたくさんあったと思う。

 

当時小学生の筆者的には
歌番組じゃないのに、音楽も楽しい不思議なポジションの番組。という感じであった。

*1

 

翌日の学校ではみんなで見たテレビの曲を話題にしたりいじったり。

音楽の授業で習う歌でもない曲なのに、

小学生が全歌詞を暗記して歌いながら下校したりしていたのだ。

資生堂の化粧水もびっくりのものすごい浸透力である。

 

そしてそこにこそ、ヒット曲の生まれる仕組みがあったように思う。

 

*1:Wikipediaによればこの音楽バラエティというコンセプトが「夢がMORI MORI」「うれしたのし大好き」に受け継がれることになったとのこと

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太宰的屈折と吉井流色彩感

【#005 SPARK / THE YELLOW MONKEY (96年)】 の考察 /2018.10.25_wrote

派手なメイクや出で立ちにも関わらずいわゆるビジュアル系とは一線と画した存在だったイエモン。
その10thシングルにして、それまでのオリコン最高位である3位を獲得することになる曲。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<バンド名に見る屈折したかっこよさ>

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90年代全盛のビジュアル系バンドの名前と言えば
ある種中二病的なというか、
寂れた歩道橋にグラフティで描かれそうなネーミングが多かったように思える。
各アーティストそれぞれ想いはあるのだろうが、
ざっくり言ってしまうと、「カッコつけました」と言うネーミング。

(10代にとってそれはそれでもちろんかっこよかったのですよ)

 

そこに対して
バンド名からして、THE YELLOW MONKEY。黄色い猿である。
黄色人種への皮肉を自らバンド名にするこのセンス。
自虐を「ダサい方がカッコイイ」みたいに変える強烈な個性を放っていた。

そこへ、この曲である。歌っている内容自体がすでにセックスである。*1

 

君とスパーク 夜はスネーク

 

なんて歌っていて成立しちゃうカッコよさなんてなかなかない。

そう。イエモンのかっこよさにはいつも艶っぽさがついて回る印象を受けたのだ。

それは「抱かれたい男」的なセクシーさではなく、
むしろ逆に、人間の「ダメやカッコ悪い」と向き合った太宰的な魅力。(恋愛とは恥ずかしいものである by 太宰)


ド派手で奇抜な格好をしながらも
他人からの見た目でない本質的なところに現れるカッコよさをすくい上げる
この屈折したカッコよさを
THE YELLOW MONKEYのネーミングはすでに体現していたように思えるのだ。

  

*1:Wikipediaによる

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