90sJPOP文化論

~90年代に10代だったオトナたちへ 90年代にヒットした曲を具体的に取り上げながら、音楽的側面と言うよりもむしろ、時代・文化的な側面から雑考するブログです。

ダサカッコいいのスタート地点

【#011 ごきげんだぜっ ~Nothing But Something~/ DA PUMP (98年)】 の考察 /2018.12.13_wrote

沖縄アクターズスクール出身のメンバーで構成された初期DAPUMPの4枚目のシングルであり、
プロデューサーである富樫明生がm.c.A.T名義で95年に発売した曲のカバーでもある。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<バージョンアップするm.c.A・Tワールド

 

富樫明生プロデュースのもと
本人のカバー、
Feelin Good It’s Paradiseでデビューし、その翌年のシングル。

それが、この、ごきげんだぜっ!である。

 

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Love Is The Final Liberty、Stay Togetherと
2曲のオリジナルを立て続けにリリースし勢いに乗っていたとは言え、
4枚目のシングルであるこの曲もm.c.A.T.こと富樫明生が3年前に歌った曲のカバー。

 

実に再利用率50パーセント!
環境省もびっくりのエコシステムである。

 

通常カバー曲といえば、
ある程度時間の経った名曲の再解釈だったり、
その歌い手の世界観に合わせて大幅にアレンジ変更を施したりするものだが、

曲調も雰囲気もほぼ原曲そのままである。

 

それを新しい人が歌うだけで
オリコンチャートに再度送りこむことができるのだとしたら、
そりゃ、ごきげんなものだ。

 

 

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(こちらが元祖、懐かしいですねぇ)

 

しかし。
Nothing But Something. である。

 

オリジナルからの変化など
何もないように見えて、
それでも、そこには何かあるのだ。


イケメン。若い。

それに加えて、
ちゃんと歌って、ちゃんと踊れる。という精度の高さ。
その実力に関しては、
当時東京への直行便チケットを同県の旅行代理店よりも持っていたと思うくらいに
たくさんの人を東京に送り込んだ沖縄アクターズスクール出身というお墨付きである。

 

その実力があったからこそ、

プロデューサー富樫明生が、
アーティストm.c.A・Tとしての自分よりも、
自分の考える音楽をそのままに、そしてよりいい形で世に送り出したい。
という考えに至ったのではないか。


つまり、
この曲は、カバーというよりも、

DA PUMPというパフォーマーを得ることで成立した
歌・ダンス・見た目すべてのバージョンアップなのだ。

 

 

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 <歌って踊って口パクなし>

「歌って踊れるイケメンユニット。」
は、それまでもいた。

 

だが、
「ハードなダンスを踊りながら口パクを使わずに
 息も切らさず伸びやかな声で歌い上げるイケメンユニット。」

の登場は、
当時ジャニーズ一強だった男性ユニット界に衝撃を与えた。

 

DA PUMPはその後
音楽番組やCM出演以外にも
いわゆる歌手としての活動を超えたフィールドにも進出していく。

 

TBSでDA!DA!DA!PUMPなる番組を始めたり、
(※その半年前から、テレビ朝日でPUFFYが、パパパパPUFFYという番組をしていた。
 これはHEY!HEY!HEY!でPUFFYと松本人志のトークの際に生まれた番組名である)

SPEEDとの共演で全メンバーが出演する映画なども封切られるなど、
(「アンドロメディア」)

 
その扱いたるや、もはやアイドル級である。


そしてそんな
イケメン集団を牽引するのが、フロントマンISSAである。


もし仮に結婚したらトリッキーな苗字になることも厭わず、*1
錚々たる美女たちと数々の浮名を流していく。

 

真実は定かではないが
ジャニーズに目の敵にされて共演が難しくなり歌番組などのメディア露出が次第に減る中でも、
2002年まで5年連続紅白出場を果たすレベルで活動が続いたのは
この色恋沙汰によりある期間ごとにISSAの名前がメディア露出したからと考えるのは穿った見方だろうか。

 

それにしてもお相手の豪華さと好みのブレなさがすごい。
上原多香子・柴咲コウ・宮沢りえ・あびる優・伊東美咲・藤井リナ・福本幸子&増田有華*2


歌って踊れるスタミナおばけのイケメンはモテるのだ。

 

 

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 <ダサカッコいいのスタート地点

今年、U.S.Aがダサカッコいいの代名詞のようになったDA PUMP。

 

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これまで、ダンス・見た目・歌唱力について、
ダサさとは無縁のように書いてきたが、
曲そのものについてはどうだろう?

 

・どきゅーん ずきゅーん 胸撃つ
・DangerなLady ごきげんっ

 

だぜ?
果たして、かっこいいのか?
率直にいってむしろダサい感じがする。
そこに加えて、早口ラップ。

 

そのくせこんなふうに 

ひしめきあうクラブでリズムに泳ぐのがグーッ

 

などと歌っても、クラブ通いしている奴はまず聞かなそうなポップスっぷりだ。

 

そもそも、この時代は日本のHIPHOPシーンの過渡期。
いわゆる第二世代の
RHYMESTERが93年、キングギドラが95年にリリースをしていて
Jヒップホップの礎を固めていた頃。*3

 

チャートを賑わすポップソングの中にも、
その兆候は徐々に出現し始めている。

 

EAST END + YURI/DAYONE(94年)
「DA YO NE DA YO NE〜言うっきゃないかもねそんな時ならね」
安室奈美恵 Chase the Chance(95年)
「楽しまなきゃ生きてる意味がないだけど楽しいばかりじゃ〜」
大黒摩季 熱くなれ(96年)
「いつもとおんなじ道を歩いて 公園またいで帰るだけなのに〜」

 

DAYONEは、コミックソングの要素たっぷりで大衆性を獲得したが、
翌年のChase the Chanceではすでに楽曲雰囲気を壊さずにラップを入り込ませることに成功している。
安室奈美恵の歌唱力とリズム感には感服するばかりだ。

ポップス界ではダサいとされがちだったラップが、
徐々に楽曲の中に浸透し始めカッコいいものに変化し始める時代。

 

U.S.Aを歌う20年前から、
DA PUMPはすでに「ダサカッコいい」だったのだ。

 

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