90sJPOP文化論

~90年代に10代だったオトナたちへ 90年代にヒットした曲を具体的に取り上げながら、音楽的側面と言うよりもむしろ、時代・文化的な側面から雑考するブログです。

【#020 接吻 -kiss- / ORIGINAL LOVE (93年)】 の考察

渋谷系の代表格と謳われたORIGINAL LOVEの5枚目のシングル。
91年のメジャーデビュー前からその音楽性に対する評価は高く、
田島貴男は90年まで小西康陽の誘いでピチカートファイブの2代目ボーカリストも掛け持ちしていた。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<大人の世界の片鱗

中学生時代。
姉の部屋に一枚のCDがあった。
「SUNNY SIDE OF ORIGINAL LOVE

 

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セピア色の写真の中で、
それまで筆者が知っているような、
テレビでワイワイと派手に騒ぐアーティストとは違う、
長身のシティーボーイがこちらをすっと見て立っている。

 

自分の部屋に移動し、CDを再生してみる。
あらゆるジャンルにルーツを持つ田島貴男のセンスが、
わかりやすいヒット曲ばかり聴いていた耳にガシガシ押し迫る。

 

渋谷系という言葉など露知らず、
オリコンチャートの上位に入るヒット曲しか知らない筆者にとって、
その出会いは大人の世界の片鱗を覗き見するような感覚だった。


そんな世界の入り口として、
ポップで耳馴染みのいい挨拶がわりの一曲がまさにこの曲、接吻だった。

 

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長く甘い口づけを交わす

深く果てしなく あなたを知りたい

fall in love 熱く口づけるたびに

痩せた色の無い夢を見る

 

 

都会的で、知性的で、艶っぽい。

うまく咀嚼はできなかったが
それは初めて飲むエスプレッソのような味わいだったように思う。

    

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 <大人のキスとおしゃれな賢者タイム

接吻・・・。
言葉の意味は誰しもがわかるのに、
この曲がなければなかなか聞くことのない言葉だ。
歌詞にも出てこないこの言葉こそが、
普通のキスとは違う、大人の世界に誘うのだ。

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【#019 Heaven’s Kitchen / Bonnie Pink (97年)】 の考察

Bonnie Pink(現在は大文字表記)の4枚目のシングルであり、トーレ・ヨハンソンのプロデュースでの2枚目のシングル。
自身初のオリコンチャート入りを遂げることになるこの曲、実は本人が生まれて初めてつくった曲と言われている。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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椎名林檎も嫉妬する才能

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名前があって

そこに愛があって

たとえ一人になっても

花は咲いている

 

 

97年。
ラジオのパワープレイ。
一撃でノックアウトされた。

 

時折気だるく吐き捨てるような台詞調の英詞。
不安定に上下し歌い終わりに下がる音階。

同じ国の文化に触れて育ったとは思えないほど、
自由で異質なその音楽に戸惑いすら覚えた。

 

それがBonnie PinkのHeaven’s Kitchenである。

 

真っ赤な髪色のショートヘア。
誰にも媚びない強烈な個性。

 

「自分のやりたいことを先にやられてしまった」
椎名林檎がデビュー前に語ったとされるその才能は、
邦楽の域を軽々と越えているように思えた。

 

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Heaven’s Kitchenは
危険地帯Hell’s Kitchen(そこに迷い込むと身ぐるみはがされ
何もかも食べ尽くされてしまう)の対義語としてつくられたらしいが、
そんなことは当時ティーンの筆者としては知るはずもなく。

 

「最初は何を歌っているかすらわからない歌」なのに、
耳が放っておくことができない。そんな強い引力があった。

 

しかし、20歳ちょっとで人生初めてつくった曲がこれってどんな才能だ…

 

 

    

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 <天才と繊細と>

 

経歴を調べると面白い。

 

学園祭で、部活の活動実態が必要だからという理由でバンドを組み、
そこから人づてに噂が広まりデビューし、
他人の書いた曲の中に自分に合う曲がないという理由で作詞作曲を始めた*1

というのだから、
これを才能と言わずに何と言おう?

 

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【#018 Over Drive / JUDY AND MARY (95年)】 の考察

92年にデビューし、2ndアルバム「ORANGE SUNSHINE」のスマッシュヒットで
メジャーシーンに躍り出たJUDY AND MARY7枚目のシングル。初のオリコンチャートTOP10入りを果たした。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<軽音楽部の理想イメージ

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ちょっとワルくてちょっと健全。
ちょっとパンクでちょっとロック。
そして、どこまでもポップ。

当時中学生だった世代にとって、
JUDY AND MARYは、
存在そのものがファッションアイコンだった。

 

走るー 雲のー 影をー

飛び越えるわ

夏のにおい追いかけて

 

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無骨な白いつなぎの中に見えるヒョウ柄の水着。
そして時折見せるサングラスやヘルメット姿。

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中学生の勝手な想像だが、
専門学校の文化祭前のような楽しさや、
男女仲良い軽音楽部の理想イメージが、
MVの中から圧倒的なエネルギーで迫ってくる。

 

そして、その中心にいるのがボーカルYUKIだ。

 

ボーイッシュさと少女性のアンバランスが見せる、
ちょっと悪戯好きでやんちゃな気まぐれ感。

 

オタサーの姫的存在の上位互換を
数億回繰り返してもたどり着かないであろうと思えるくらいに、
バンドの中で、紅一点のボーカルは
どこまでも自由闊達で、歌手の域を超えてチャーミングだった。(今でもですけど)

 

 


余談だが、筆者がJUDY AND MARYを知ったのは、
Over Driveの1枚前のシングルに収録されている自転車が
明治製菓「ポイフル」のCMに使われていたからだ。

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ここから25年・・・いやはや、ブレない。

 

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【#017 冬がはじまるよ / 槇原敬之 (91年)】 の考察

3枚目のシングル、「どんなときも。」の爆発的ヒットで一躍時の人となった槇原敬之の4枚目のシングル。
サッポロビール冬物語」のCMソングとして使用され、以降時代を超えて定番の冬ソングとなっている。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<純朴アーティストという特異性

91年。
ロックは不良のやるもの。
そんな時代は終わりを告げようとしていたが、

それでもアーティストというのは、
オシャレだったり、カッコつけてたり、少しチャラい印象があったり、
どこかウェイウェイしている雰囲気や
なんかスクールカースト上位イメージというか、そういう節があった。

 

「どんなときも。」のヒットによる槇原敬之の登場は、
飼育係のメガネくんが突然マラソン大会でトップを取るような衝撃だったように思う

 

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(大ヒットしましたね)

 

そして、大ヒット収まらぬ中、リリースされたのがこの曲である

 

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8月の君の誕生日

半袖と長袖のシャツをプレゼントしたのは

今年の冬もそれからもずっと僕らが

一緒に過ごせるためのおまじない

 

 

何だろう。

槇原敬之の純朴100パーセントの声から放たれる純朴100パーセントの歌詞。

きっと筋斗雲にも乗れるであろう心の清らかさ。

こんな健気な歌を歌う男性は

アーティストという人種のイメージにはなかったのだ。

 

 

そもそも、こんなヤツ実在したら、

女性としてはちょっと引くんじゃないか・・・と思ってしまう。

 

「ねぇ、エミは誕生日、彼氏に何もらったの?」

「えっとぉ、半袖と長袖のシャツ」

「えー何それ?笑」

「なんかぁ、冬もその先も過ごせるためのぉ、おまじない?だって」

「お・ま・じ・な・い~?(爆)」

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【#016 Swallowtail Butterfly~あいのうた~ / YEN TOWN BAND (96年)】 の考察

96年公開の岩井俊二監督映画、「スワロウテイル」に登場する無国籍バンドの曲。
映画の登場人物名義による発売ながらシングル、アルバム共に週間チャート1位を記録するなどの現象を起こした曲。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<10代だけに刺さる特殊な言語

飛び交う中国語。英語。カタコトの日本語。
目を背けたくなるような暴力。痛み。貧困。
エキゾチックでありながらも郷愁感漂うディストピア

 

R-15指定をギリギリクリアして見た世代としては、
映画「スワロウテイル」の衝撃は凄まじかった。

 

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邦画とは思えぬ大きな世界観。
全体に浮遊するどこか懐かしい匂いのする気怠さ。
時々、目を背けたくなる重々しさを持ちながらも、
それでいて、10代に刺さる、圧倒的なカッコよさ。

 

おそらく、映画を観た年齢によって受け取り方は大きく異なるだろう。


映像のトーン・キャスト・美術・ストーリー。
すべての要素が若者だけに伝わる言語で、迫ってくる。
逆説的だが、若者以外はわからなくていいと突き放した表現ともとれるこのカルチャー感が、
10代に圧倒的密度を持ったものとして押し寄せるのだ。

 

その中でも、
この映画における音楽の存在はあまりにも大きい。
世界観を決定づけるSunday Parkのギターに始まり、
そしてエンディングのSwallowtail Butterfly~あいのうた~ まで。
この映画はある種ミュージックビデオとストーリーが合体したような形で進行していく。

 

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そういう意味では
岩井俊二&小林武史の二人の世界観による映画と言ってもいいだろう。

 

Love Letter、打ち上げ花火とヒットを重ね、
気鋭の監督として注目を集め始めた当時33歳の岩井俊二
破竹の勢いでヒットを飛ばすMr.Childrenのプロデューサーとして注目を浴び、
前年にMY LITTLE LOVERを立ち上げ自らも表舞台に参加した36歳の小林武史

 

岩井俊二の作るファンタジーの中にあるリアリティ。
小林武史の作るキャッチーさと哀愁。
まさに若者文化を代表する二人の感性が混ざり合い、
YEN TOWN BANDは、
映画の枠を超えて羽ばたいていったのだ。

  

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 <Charaという楽器>

 

映画の中のグリコが、現実世界ではCHARAという歌手であったり、
映画内で他にかかる音源がMY LITTLE LOVERの音源だったり、
劇中のCMがクリスペプラーの声によるそれっぽさだったり。

 

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【#015 LOVEマシーン / モーニング娘。 (99年)】 の考察

ASAYANの企画の派生からデビューしたモーニング娘。7枚目のシングルであり、
後藤真希が第3期で加入した直後のシングル。グループ初のミリオンヒットを記録した。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<アイドルと楽曲の距離感

ASAYAN、中期。
番組自体もオーディション企画が続くことで
人気はあったがややマンネリの兆しが見え隠れし、
デビューこそ大成功だったモーニング娘。(以下モー娘。)も、
リリース曲ごとに次第に順位を下げていた頃。

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テコ入れが必要だったのは確かだろう。
それが、新メンバー後藤真希の加入及びセンター抜擢であり、
この楽曲、「LOVEマシーン」である。

 

にゃお〜~~~~ぉおん!

 

なんという出だしだろうか。
正統派アイドルとしてデビューした「モーニングコーヒー」のイメージからは
到底想像できない悪ノリっぷりである。

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ダンスというにはあまりに滑稽なポージングに近い「踊り」。
歌詞というには経済用語と恋愛を無作為に乱立させただけのように読める「言葉」。
そして、ひと世代前を彷彿とさせる「ディスコミュージック」。

 

正統派アイドルから突如ブチ放たれる、勢い任せのカオス。

 


MVがテレビから流れたのを見て、
最初は「ぽかーん」となった人がほとんどだったようであろう。
情報量の込み入り具合が、脳の処理速度を超えているのだ。

 

しかし、まさにそこがつんく♂の狙いだ。
よくわかる直球な王道ソングは、勢いに乗っている時こそヒットしやすいが、
停滞している流れの中でノイズを高め注目度をあげるためには、「魔球」しかない。

 

魔球に必要なのは、アイドルと楽曲の距離感である。

到底アイドルソングとは思えない、
アイドルイメージから数万光年離れた距離にある楽曲を作り上げることこそが、至上命題だったに違いない。

結果、

モー娘。の起死回生の起爆剤として
世に放たれたこの奇妙奇天烈摩訶不思議な組合せの楽曲は
世紀末、低迷する日本すら揺るがす起爆剤となったのだから、

つんく♂のプロデューサーとしての感覚には、脱帽するしかない。

 

そしてもう一人、やはりこの曲はダンス☆マンの才能なしには語れないだろう。
ギター一本のデモからカオス感を保ちながらもセンス抜群のアレンジに仕立てる離れ業。

 

デモを聞いてから
わずか1日2日でアレンジを加え
つんく♂と一週間の猶予で作り上げたというのだから、
言うまでもなく、必死だったのだろう。
ダンス☆マンの制作秘話を読むと、その片鱗が見て取れる。*1

  

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 <アイドルと日本経済>

歌詞を見ていこう。

 

語尾のリフレインや
Wow Wow Yeah Yeahなどの投げ込みの印象が強いが、
この曲のリズムを根底で作っているのはやはり日本語部分だ。

 

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【#014 情熱/ UA (96年)】 の考察

UAの4枚目のシングルであり、UAという名前を一躍有名にした出世作
じわじわとロングヒットを続け、UA作品の中でチャートイン最多を数える。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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安室奈美恵が歌ったUA

 

この曲をヒットさせたのは安室奈美恵だと思っている。

 

かつて、
三宅裕司、中山秀征や赤坂泰彦の進行のもと、
ある種スナックのような状態で
様々な人たちがその時々のヒット曲を歌うゆるめの音楽番組があった。
その名も、『THE夜もヒッパレ』。

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そこに
安室奈美恵with SUPER MONKEY’SやSPEEDなど、
これから売り出したいであろう若手アーティストがサブキャストとして配され、
テレビ出演経験とヒット曲を歌う機会を与えられていた。

 

96年といえば、
前年から小室哲哉プロデュースにより完全ソロになった安室奈美恵

トップアーティストとなり、アムラー流行語大賞を取った年。

安室奈美恵」という存在は売り出したい若手アーティストという域をとうに越えていた。

 

さらにはその音楽性においてもちょうどDon’t wanna cryをリリースし
ユーロビートからR&Bへと方向転換が見え始めたタイミングである。

 

そこで、チャート圏外ながら注目曲として歌われたのが、
まさにこの曲、「情熱」だったのだ。
(いやぁ、youtube無いですねぇ。誰か上げて欲しいものです)

 

イントロと呼ぶにはあまりに短いドラムを抜けて、歌が始まる。

きっと涙は 音もなく 流れるけれど
赤裸々に 頬濡らし 心まで溶かし始める

 

スナックのカラオケ的なTV画面の中で
その時間だけが異次元空間のように見えた。

 

誤解を恐れず言うと、
彼女が自身の歌を歌うよりも、全力に見えたし、カッコよく見えたのだ。
それはR&B色を打ち出したトップアーティストとしての、
本気でいいと思う楽曲に対するリスペクトに思えた。

 

そんな楽曲が、注目を集めないわけがない。

ネットを探しても見つからので筆者の記憶だけが頼りだが、
この日のTHE夜もヒッパレ放送の翌週、
情熱が一気にチャートを駆け上ることになった(と記憶している)。

 

夜もヒッパレで楽曲を知った人が原曲に触れることで、今度は

ヴォーカリストとしてのUAの才能に驚かされることになるのだ。

  

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 <ディーヴァという言葉の浸透>

 

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朝本浩文という才能が織りなす
クラブミュージックやR&Bという言葉だけでは片付けられない、

 

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