90sJPOP文化論

~90年代に10代だったオトナたちへ 90年代にヒットした曲を具体的に取り上げながら、音楽的側面と言うよりもむしろ、時代・文化的な側面から雑考するブログです。

マジメと不真面目の振れ幅

【#048 一番偉い人へ / とんねるず (92年)】 の考察

お笑いコンビ「とんねるず」の19枚目のシングル。
前々作「情けねえ」で紅白出場を果たし、前作「ガラガラヘビがやってくる」がオリコン1位を記録と、
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの中リリースされたシングルは、この国の未来を憂うメッセージ性の強い内容になっている。

この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<マジメと不真面目の振れ幅>

お笑い第三世代。
中でも、とんねるずはいつも芸人が憧れる芸人として唯一無二のポジションを確立していた。


「オールナイトフジ」でのカメラ転倒事件。
「夕やけニャンニャン」でのおニャン子いじり。
そのやんちゃで自由な振る舞いや破天荒さは、まさに部活のお兄ちゃん的存在。

そして88年から始まった「とんねるずのみなさんのおかげです」によって、
その人気は決定的なものとなっていた。

その多才ぶりは本業のお笑いだけでなく、
音楽活動においてもいかんなく発揮される。
二人の芸人離れした歌のうまさはさることながら、
驚きなのが、その音楽性の振れ幅だ。

 

「一気」「雨の西麻布」「迷惑でしょうが…」「情けねぇ」「ガラガラヘビがやってくる」

 

マジメと不真面目の両極を
圧倒的な瞬発力で行き来しながら
アーティスト性と悪ふざけを高次元で両立させている。

その絶妙なバランスを感じられるのが、この曲じゃないかと思う。


一番偉い人へ とんねるず


とんねるず「一番偉い人へ」「LATESHOW」ほか

 

前作「ガラガラヘビがやってくる」から一転、
シリアスなメッセージ性を込めた本格アーティスト顔負けの楽曲。
しかしそれでも二人は、
どこまでマジメかわからない顔つきで表現しきる。

ふざけているのに、カッコイイ。
カッコイイのに、どこか、笑える。

この圧倒的なまでの二人のバランス感覚が、
マジメ・不真面目どちらの表現も可能にし、
芸人としてだけでなく、
歌手=とんねるずとしても、他に類を見ない存在にしていったのではないだろうか。

 

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  <尾崎を経由した大人たちのペーソス>

 

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オバさんにならない生き方

【#047 私がオバさんになっても / 森高千里 (92年)】 の考察

アルバム「ROCK ALIVE」からのシングルカットされた森高千里の16枚目のシングル。。
オリコン15位、大ヒットとまでは行かないまでも、森高の代表曲として今でも多くのファンに愛されている。

この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<能ある(森)タカは爪を隠してパンツを見せる>

89年に「17才」のヒットはあったものの、
なんとなく存在は知られていた森高千里を、一気に世に知らしめたのはこの曲だろう。

 


森高千里 『私がオバさんになっても』 (ライブ)

 

ミニスカートから惜しげもなく出る美脚。パンチラ。
何を隠そう、第1回ポカリスエット・イメージガールでグランプリを受賞した美貌の持ち主である。

アイドル冬の時代にアイドルらしく活動すること。
それは今思えば、
「シンガーソングライター森高千里」の才能を意識的に隠し続ける行為のようにも見える。

どこかよそ行きでPLASTICな声質にのせた切れ味のある言葉の数々。

 

・夏休みには二人してサイパンへ行ったわ
・私がオバさんになっても
・お腹がでてくるのよ

 

「秋元康が書きそうな」とでも形容したらいいのだろうか。
アイドルのイメージを客観視しながら、アイドルを演じ遊んでみせる芸当。
抽象的、感覚的にならずに具体的でインパクトのある言葉を並べながら、感情の動きは素直に伝わってくる。
作詞センスと呼ばずになんと呼ぼう。。

 

しかし、
派手な衣装にミニスカートにパンチラを目の前にして
作詞=森高千里。という表記に目を向ける男性はほとんどいない。

能ある森高は爪を隠してパンツを見せるのだ。

 

  

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  <音楽素養とセルフプロデュース力>

   

お嬢様じゃないの私ただのミーハー!(ザ・ミーハー)

悪いけど私は 歌がヘタよ(非実力派宣言)

 

などと歌ってはいても、
森高千里の音楽素養の高さは侮れない。

前述した作詞センスに加え、
3歳からピアノを習い
高校でドラムやベースを演奏していたというマルチプレイヤーだ。

 

 

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ポップスの座標ゼロ地点

(少しお休みしてしまいましたが、緩やかに続けて行こうかなと思います)

【#046 Man & Woman / My Little Lover (98年)】 の考察

小林武史プロデュースによるakkoと藤井謙二のユニットのデビューシングル。
デビュー曲ながら50万枚を超えるヒットを記録し、オリコン7位を記録した。

この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<ポップスの座標ゼロ地点>

J-POPと言って頭に思い浮かべるのはどんな音楽だろう。

J-WAVEに端を発し、それまでの歌謡曲的な楽曲と棲み分けて名づけられたとされるJ-POPという言葉だが、
その言葉の定義は曖昧で、今やそれはヒット曲を含めた日本の商業音楽全般を指す言葉になっていると思われる。

 

ロック、テクノ、クセのある声、アイドル、オルタナ、サブカル・・・
そんなすべてを飲み込む言葉としてあるJ-POPはまさに玉石混合。
時代とともに新しい音楽を飲み込んでいき、
もはやどこが「J-POP」の基準点なのかわからなくなりそうなものだ。

 

その中において、これぞポップスという音楽をつくっているのが
95年にデビューしたマイラバことMy Little Loverだろう。

 


My Little Lover「Man & Woman」

 

前年のミスチルのヒットにより
ダブルTKとしてその名を世に知らしめていた小林武史プロデュースによるこのユニットは、
多様なジャンルが際限なく広がるJ-POP界において
ポップソングの座標ゼロ地点のように存在した。

 

悲しみのため息 ひとり身のせつなさ
抱きしめたい 抱きしめたいから Man & Woman

 

 

透明感のあるボーカル。
かわいいとキレイのちょうど中間地点のお姉さん。
恋愛を歌い込んでも生臭くならないユニセックスな存在感。

 

女性シンガーと男性ギタリストの組み合わせを
小室哲哉は斬新だったと評しているが、*1

過剰なまでに人と違うという個性をアピールするアーティストが蔓延する中において、
余計なハッシュタグをつけずに純粋に「ポップス」をど真ん中で作り上げようという気概こそが、
斬新だったのではないかと思う。

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  <小林武史流HOP STEP JUMP>

  

 

純粋に丁寧で美味しいご飯を出す定食屋よりも
激辛とか、濃厚とか、ギガとかメガとか。
何かと目立ったメニューがあるお店の方が
人目につきやすく、一時的には売れやすい(・・・はずだ)。


 

My Little Loverも、
小林武史プロデュースという売り文句はついてはいるものの、
特筆に値するような目立った個性はないように思える。

それを純粋に音楽の力だけでヒットまでこぎつけるあたりは、
小林武史の底力だろう。

 

実は、デビュー曲「Man & Woman」よりも
セカンドシングルの「白いカイト」の方が楽曲としては
先にできていたという話を聞いた記憶がある。

  

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新宿系というブルーオーシャンと武装癖

【#045 歌舞伎町の女王 / 椎名林檎 (98年)】 の考察

東京オリンピックの演出を手がける椎名林檎の2枚目のシングル。
その独特の世界観や文学的歌詞は「新宿系」というジャンルを確立した。

この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<花の98年組における強烈なセルフブランディング>

  

 

98年は錚々たる女性アーティストがデビューしている。
宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、MISIA、モーニング娘。、浜崎あゆみ・・・。

似たり寄ったりの中途半端個性が乱立する中にデビューした彼女たちは誰もが個性豊かでオリジナリティに溢れているが、
その中でも椎名林檎の存在感は、小気味いいくらいまで突き抜けていた。

インパクトのあるアーティスト名。
独特の宛字。クセのある声と「ら行」の巻き舌。
その存在感はデビュー曲の「幸福論」から光っていたが、

世の中に鮮烈にインパクトを残すことになったのは、
やはり二枚目のシングルであるこの曲であろう。

 


椎名林檎 - 歌舞伎町の女王

 

昭和を感じさせる世界観。
性的な描写にもズカズカ踏み込んでいく文学性、
蓋をされて日の目を浴びない世界にスポットライトを当てて歌う歌詞は、
「性」というより、「生」を存分に感じさせるものであり、
巷に溢れる安っぽい愛の歌より、肉体的で艶かしく、生臭い。

 

十五になったあたしを置いて女王は消えた
毎週金曜日に来てた 男と暮らすのだろう

「一度栄えしものでも必ずや衰えゆく」 

同情を欲した時に全てを失うだろう

  

早熟すぎるくらいに人生を達観したような歌詞の数々。

 

その中で強く生きようというその姿勢は、
そのまま、媚びることなく強烈に自分の世界観を押し出す椎名林檎の姿に重なり、
のちに新宿系と呼ばれる椎名林檎のセルフブランドを作り上げていく。

こうして19歳のほとばしる才能は
文学好きやサブカルチャー界隈を巻き込み熱狂的な人気を生み出すことになっていったのだ。

 

 

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  <新宿系というブルーオーシャンと武装癖>

  

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初期の椎名林檎を語る上で欠かせない言葉、「新宿系」だが、
そもそもは、この楽曲タイトルにかけて彼女が自身を
「新宿系自作自演屋」と称したことが始まりとされる。


「新宿の人間は生臭くて、自己嫌悪に陥りながらも何かを求めて必死に生きてる。その見えない真実を追い求めるのが新宿系」「小奇麗な渋谷系と差別化するため」(wikipedia)

 

新宿系という言葉に対しての当初の彼女の談である。
カテゴリーに名前がつくことによって、ブルーオーシャンに飛び込み
彼女をカリスマ的存在に押し上げる後押しとなったのは事実だろうが、
自身で名乗っている10代のこじらせ感が同居しているのもまた事実。

 

強気で偉そうな物言いや
肩で風を切るように好戦的な振る舞いは、
容姿を伴う彼女が楽曲を歪んだ形で理解されたくないことの裏返しでもある。 

  

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音階を駆け上がり続ける麻薬性

【#044 HOWEVER / GLAY (97年)】 の考察

当時飛ぶ鳥を落とす勢いでヒットを飛ばしていたGLAYの12枚目のシングル。
自身初のミリオンセラーを記録した。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<音階を駆け上がり続ける麻薬性>

  


GLAY / HOWEVER

 

どれだけの男子が競うように歌っただろう、この歌。この高音。
次から次へと果敢にカラオケのリモコンを押しては
特攻隊のように挑んでいき、最後のサビ、

 

あなたを彩る全てを抱きしめて
ゆっくりと 歩き出す

 

で見事に自滅する姿は全国のカラオケ店でよく見られた景色だろう。

 

ピアノとストリングスの美しい旋律による優しさ溢れるスタート、
バンドらしさを出しながらも、
静かに静かにサビへの飛翔をぐっと我慢し続けるようなAメロ、Bメロ。
爆発をためにためてようやく放たれるサビ。
さらにそこから、
二番のサビ、大サビへと過酷な山登りのように登り続けていく構造は、
さながらエスカレートの歯止めが効かなくなった高音のインフレである。

 

音階を駆け上がり続けるこの麻薬性が、
当時盛況だった音楽番組やラジオを通じて街に蔓延するのだ。
多くのGLAY中毒者が出るのも無理はない。

すでに全作「口唇」で1位を記録しメジャーシーンでその活躍を知らしめていたGLAYだが、
この曲で初のミリオンセラーを記録。
その後2ヶ月を待たずして発売された
アルバム「REVIEW」(発売初週227万枚!)にも同曲が収録されているので買い控えた人がいることを考えると、恐ろしい売れっぷりである。

「HOWEVER」、そして「REVIEW」
この二枚のリリースがシングル5作連続ミリオンへの足掛かりとなったのは確かだ。
かくしてGLAYは日本を代表するロックバンドとしてのポジションを確立したのだ。

 

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  <ビジュアル系の誠実と堅実>

 

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X JAPANに端を発し、BOOWYを経由しながら成熟していったビジュアル系ロックバンド。
(※解釈は諸説あります)

90年代にも数多くのバンドが台頭していたが、その山頂は、しばらく空席だったように思う。
黒夢、LUNA SEA、BUCK-TICK、等・・・
音楽的な激しさを持ち合わせるバンドは広いファンには受け入れられるのは難しく、
T-BOLAN、WANDSといった
ポップロック路線のバンドが一時的に台頭するも天下まではたどり着かなかった。 

 

 

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TK流新ジャンル確立メソッド

【#043 寒い夜だから... / trf (93年)】 の考察

trf(現在はTRF)の5枚目のシングルで、初のオリコントップ10入りを果たすことになったヒット曲。
93年と94年で二種類のジャケットとMVが存在する。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<消えゆくB面と現実論としての〇〇mix>

  

 avexと小室哲哉のダンスユニット構想から
「GOING 2 DANCE」でデビューした後、
2作目、EZ DO DANCEで認知を獲得したtrf。
その勢いを止めることなく、
新人としては離れ業に近い
「愛がもう少し欲しいよ」「Silver and Gold dance」の二枚同時リリース。


そして、そこから1ヶ月を待たずにリリースされたのが
この5枚目のシングル、「寒い夜だから…」である。

 

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デビューから1年経たずしてシングル5作を世に送り込んだことになるのだから、
avex邦楽グループ第一号への期待は相当なものである。
この、他を寄せ付けぬ圧倒的速度でのリリースこそが当時のTKの真骨頂であろう。
山王工業のゾーンプレスのような圧力で他を圧倒し
次から次へと息をつく暇もなく新曲を排出し続け、
「誰だろう?」から「なんとなく知っている」を経由して、
「あぁ、trfでしょ」となるまでの道のりを最短距離で結びつける。

 

前年までデビューすらしていなかったアーティストが
翌年の「survival dAnce~no no cry more~」リリース時には
すでに当然のような顔つきで一位を獲得する存在にまで登り詰めるのだから、
肝いり案件とはいえ並大抵の仕事量ではない。

 

ある程度の評価を得られる音源をこの速度でリリースする弊害はどこにあるのか。
圧倒的量産体制の裏でこっそりと消えゆくのがB面(カップリング)の曲である。

この曲のクレジットを見てみよう。

1. 寒い夜だから…[ORIGINAL MIX]
2. 寒い夜だから…[INSTRUMENTAL]
3. 寒い夜だから…[ALTERNATIVE MIX]

前作4枚まではC/W曲が存在したが、
この曲では、ALTERNATIVE MIXという同じ曲のmix違いがクレジットされている。
この曲を境にtrfのCDクレジットにはおびただしい数の〇〇mixが並ぶことになる。

 

 

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  <読点のループが生み出す切なさ>

 


TRF / 寒い夜だから


寒い夜に自転車に乗っていたら生まれたというこの歌詞。
小室哲哉自身がこんなにスムーズにできた歌詞はなかったと振り返るぐらいだが*1
それでも独特の言語感覚はここでも光っている。
 

 

寒い夜だから あなたを待ちわびて
どんな言葉でも きっと構わないから

   (下線部「...」は歌詞ではなく筆者による記載)

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B級グルメ的音楽とエンターテイメントの軸足

【#042 シングルベッド / シャ乱Q (94年)】 の考察

シャ乱Qの6枚目のシングルであり、ロングヒットとなりその存在を世に知られることになった曲
オリコン最高位9位ながらのミリオンセラーは、史上最も最高順位が低いミリオン曲である。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<B級グルメ的音楽と共感力>

  

 中学校の終わりの頃だった気がする。
部活引退後の脱力感と受験のふわふわした時期にだらしなく通っていた焼肉屋があった。
(と言っても、ケーキやカレーまであり食べ放題がいくらいくらというような類の店であるが)

久しぶりにあった友人に「最近焼肉屋でよくかかるいい曲がある」として紹介されたのが
この曲、シャ乱Qのシングルベッドである。

 


シャ乱Q 『シングルベッド』

 

まとわりつくような濃いめの声質が
安いカルビや濃厚系ラーメンに相性がいいのだろうか。
飲食店の有線をパワープレイで占拠していた。
そういえば、シャ乱Qという言葉もカタカナ漢字にローマ字相まって
どこかB級グルメを感じさせるふざけたネーミングだ。
のちに目撃することになるビジュアルだって、
少し間違えた専門学校の入学式を上沼恵美子教授が先導しているみたいな印象だった

 

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なのに、なのに。

 

「・・・ああ、これ俺だ」
おそらく多くのティーンネイジャー男子たちがそう感じたに違いない。

 

シングルベッドで二人 涙拭いてた頃
どっちから別れ話するか賭けてた

 

 

カッコつけて、それがダサくて空振りして、でも一生懸命で、失って、カッコ悪くて、それでもカッコつけて。

 

男のロマンと女々しさを縦横無尽に行き来しながらダイナミックに進行するメロディー。
それでいて、日常のなかに落ちた小さな小石をひとつひとつ積み上げるような視点。

 

綺麗な言葉でいうと“遠くにあるものよりも近くにあることを描く”ってことです。*1


最先端のオシャレで尖ったり、高尚で難しいことを掲げるのではなく、
庶民的でありながら、おいしい。
シングルベッドはまさにB級グルメ的波及力でそのファンの裾野を広げ
実にオリコン54週ランクインのロングヒットを記録することになる。 

 

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  <変幻自在エンターテイメントの軸足>


それまでも
「ラーメン大好き小池さんの唄」から「上・京・物・語」まで
幅広い楽曲を手掛けていたシャ乱Qだが、
「シングルベッド」の大ヒットで一本軸が定まったのか
その後の活動はさらなる自由を手にしたように見えた。

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月9果汁100%とソロデビュー

【#041 TRUE LOVE / 藤井フミヤ (93年)】 の考察

藤井フミヤのソロデビューシングルにして、ダブルミリオンを記録した自身最大のヒット曲。
ドラマ「あすなろ白書」の主題歌であった。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<月9果汁100%とソロデビュー>

  

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月9史上歴代5位の平均視聴率を誇る「あすなろ白書」

 

「オレじゃダメか?」のあすなろ抱き(取手くん抱っこ)。
「あしたの会じゃないよ。あすなろ会だよ」に象徴される名台詞。

柴門ふみ原作×北川悦吏子の脚本という黄金比。
ベスパに乗るキムタクやポルシェに乗る御曹司を演じる西島秀俊。
いつ勉強しているんだろうという学生たちのおしゃれなキャンパスライフ。
恋愛模様を中心に友情や仲間の死、同性愛、妊娠…。


どこをどう切っても月9果汁100%の原液ダダ漏れの青春群像劇。

 

そんな月9果汁をさらに濃縮させて世に送り出すのがこの曲、
藤井フミヤの「TRUE LOVE」である。

 


TRUE LOVE/藤井フミヤ

 

チェッカーズ解散から、約一年。
はじめて自身で作曲を手がけたというこの曲は、
大編成のバンドサウンドから一転、アコースティックギター主体のシンプルなサウンドだった。
「知ってるコードだけで作った」*1ために
メリハリが弱く売れる自信も全くなかったというが、
ドラマとの相乗効果もあり結果として大ヒット。
ソロアーティスト、藤井フミヤの地位を確立した。

シンプルな音だからこそ
フミヤの幼さの残る伸びやかなボーカルと
切なく過去を振り返りながらも未来を思うような感情がダイレクトに伝わり、
歴史的に色褪せない名曲として後世に残ることになったのだ。 

 

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  <どこにもアウェーでどこでも特別>


「TRUE LOVE」から遡ること1年。
チェッカーズ解散のニュースが駆け巡った。

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女性アーティストにおける一人称の「ぼく」の効能&楽曲5選

【interlude #004】

このブログでは主としてシングル曲(1曲)ごとに記事を書いているが、
今日は女性アーティストの歌詞における「ぼく」の役割について書いてみたい。

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<女性アーティストにおける一人称「ぼく」の台頭

 

昨今のアイドルソングは、やたら一人称が「ぼく」な気がする。

そもそも誰がやり出したのだろう。
女性シンガーにおける一人称、「ぼく」。
男性目線の歌を歌うというのならばわかるが、
J-POPにおいては多くの女性シンガーがそれ以外の時でも
主語を「ぼく」として歌っている歌が数多くあるように思う。

 

無論、90年代に始まったことでないのは確かだ。
中島みゆきや山崎ハコだって歌っているし、
もっとその前から主語を「ぼく」にした女性ボーカルはきっとあっただろう。
それでも、大衆性を獲得しだしたのは90年代以降な気もする。

 

そもそも、男性(オレ・ぼく・私)に比べ女性は
一人称に乏しくアーティストや歌詞の主人公の性格づけを主語によって作るのはなかなか難しい。
「私(わたし)」を「あたし」で表現するaikoなどはいるが、
それも「私(わたし)」の変化バージョンであり、
ほとんどのアーティストの歌が、「私(わたし)」を主語に「あなた」をどうしたこうしたという形に落ち着く。

 

「あなた」

なぜこんなに「ぼく」が増えたかを探るヒントはむしろこちら側、二人称の方にある。

 

昔読んだ記事なので記憶は曖昧だが、
GLAY全盛期の90年代中盤、80年代のBOOWYと歌詞を比較する記事があった。

 

簡単にまとめると、
BOOWYの影響を受けて音楽を作っているGLAYだが、
「オレ/お前」という歌詞で歌うBOOWYに対し、
GLAYは「わたし/あなた」という歌詞世界を作り込んでいる。
女性に対する扱いの時代変化にともない、「お前」から「あなた」に変わっているのだろう。
というような考察だった。

 

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真綿で首を締めるように迫り来る三拍子

【#040 部屋とYシャツと私 / 平松絵里 (92年)】 の考察

平松絵里の8枚目のシングルで、自身の最大のヒット曲。
ミリオンセラーを記録し、レコード大賞の最優秀作詞賞を受賞した。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<真綿で首を締めるように迫り来る三拍子>

 

 

 

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筆者が三拍子のヒット曲を思い浮かべるときに真っ先に思い浮かぶのがこの曲である。
(その次に DREAMS COME TRUEの「a little waltz」、ゆずの「からっぽ」あたりが続く)

 

この曲がヒットしたのは確か中学生だったと思う。

 


HBW901 部屋とワイシャツと私 平松愛理 (1990)1993・190504 vL HD

 

平松絵里。
ふわふわとしたルックスと甘い声でピアノを弾きながら歌うその存在は
まるで優しい音楽の先生のようにしてチャートに現れたと記憶している。

テンポの速い曲が流れる中で
エリックサティーを聞くかのように流れるまったりとした甘美な時間。
しかしその内実、
優しい笑顔で歌うその姿とは対極に、歌詞の中身は完全にホラーである。

 

あなた浮気したら うちでの食事に気をつけて
私は知恵をしぼって 毒入りスープで一緒にいこう

  

だけどもし寝言で 他の娘の名を呼ばぬように
気に入った女の子は 私と同じ名前で呼んで

 

柔らかい陽光が降り注ぐ昼下がり。
白い部屋。揺れるワイシャツ、そして私・・・。
甘美なホラー。
優しく甘い声でいながら、
真綿で首を締めるように迫り来る恐怖。
部屋、ワイシャツ、私。部屋、ワイシャツ、私…
ぐるぐると回る三拍子のリズムがそれをさらに強化する。

 

92年。
レコード大賞にて最優秀作詞賞を受賞したのがなんとこの曲なのだから驚きだ。

 

 

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  <「関白宣言」と「トリセツ」の間に芽生えるメンヘラ>


まぁレコード大賞の作詞賞は極端な気もするが、
この歌詞がホラーでありながら
エンターテイメント性を兼ね備えていることは見て取れる。

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