90sJPOP文化論

~90年代に10代だったオトナたちへ 90年代にヒットした曲を具体的に取り上げながら、音楽的側面と言うよりもむしろ、時代・文化的な側面から雑考するブログです。

歌詞放棄の衝撃と脱ラブソング

【#008 YAH YAH YAH/夢の番人 / CHAGE & ASKA (93年)】 の考察 /2018.11.15_wrote

SAY YESから数えて5枚目、CHAGE&ASKAの31枚目のシングル。
オリコン史上初となる同一歌手の2作目のダブルミリオンを記録した大ヒット曲。
三谷幸喜の出世作、振り返れば奴がいるの主題歌であった。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<時代のフロントランナー、チャゲアス>

チャゲアスを知ったのは、101回目のプロポーズのタイアップ曲、SAY YESだった。
おそらく大抵の10代も同様だったのではなかろうか。

 

しかし、このYAH YAH YAHがリリースされている頃にはすでに、
元々前からいる大御所のような存在として認識していたような気がする。

 

とんねるずと卓球勝負をしていたアルフィーが、
曲は知らないのに古くから大御所として理解しているあの感覚。
とでも言ったらいいだろうか。

時代的なものもあるのだろう。
SAY YESがヒットチャートを転げ落ちる前にすぐに、
僕はこの目で嘘をつく、そしてSUPER BEST2、
そこからまたシングルと休む暇もなく次から次へチャゲアスチャゲアスという具合で、
むしろ耳にあの声が入ってこないことがないくらいに日本中がチャゲアス感染していた。

 

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(とにかく、売れてましたねぇ・・・)

 それに加え、
SUPER BEST2が出た時点で、すでに「2」であること
(え?もう一枚ベスト作ってるレベルのキャリアなの!?という驚き)や
ウッチャンによるあの納豆をネバネバのばすような歌い方の物真似、
普段あまり音楽を聞かない両親ですら知っていることなども積み重なり、
新しく音楽を聴き始めた人間にとっても、チャゲアスはすでに大御所だったのだ。

そしてこの曲はまさに、
そんなチャゲアス全盛期の頂点に君臨する曲なのである。

 

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 <サビの歌詞放棄の驚き>


当時何より衝撃的だったのがサビの歌詞だ。
歌詞・・・?

歌詞といいながら文章でないし、単語ですらない。
意味を持たない単音の繰り返しである。
曲の一番盛り上がるところが、YAHが14回繰り返されるだけなのだ。

 

www.youtube.com

 
それまでの筆者の記憶で行くと、
「北の国から」を歌うさだまさし以来の衝撃的歌詞放棄。

 

小学生の高学年から、
ある程度の意志を持ってJPOPを聞くようになった身としては、
サビというのは、大抵大事なメッセージを歌うものだと思っていた。

 

事実、当時の印象として
8割以上の曲がサビで愛がどうたらと歌っていたし、
(チャゲアス自体もラブソングを歌うイメージがほとんどだった)
残りの2割の曲においてもだいたい自分らしさや生き様をメッセージしていたものだ。

 

そこに、YAH YAH YAH。である。
これまでのルールを全てぶち壊された感覚すらあった。

 

こんな歌詞(あえて歌詞と書くが)、誰が世に送り出せるだろう。

世に送り出せるだろうというのには二つ意味がある。

 

ひとつは、そもそも「思いつかない」というのであり、
普通にテーマに沿ったある程度の歌詞が出ていたら、
自らその歌詞を放棄するような思考はなかなか生まれにくいだろう。という考え。

 

もうひとつは、書けたとしても「普通は書かない」というのである。
それは、感覚的に歌詞などいらないと思っていたとしても、
商品を世に出すものとして、自分の感覚と他者の感覚を秤にかけて
「もう少しうまくできた歌詞」にパッケージングしてしまうもの。
音楽とはいえビジネス。
自分の思ったままの世界観をそのまま変えずにいられるのは、
よほどの地位の作詞家か自ら世界観の確立したシンガーソングライターぐらいだろう。


この二つのハードルを超えて世に送り出されたYAH YAH YAH。
それだけに、破壊力は抜群である。
そこでは、意味のない言葉が、言葉以上の意味を持つのだ。

 

小田和正の、「言葉にならない」というのも歌詞の妙技として素晴らしいが、
それも、やはり言葉による解決である。

 

この歌の世界観。
押さえ込んだ暴力性を一気にぶちまける、叫び。
それこそが、YAH、YAH、YAHなのだ。

 

意味などあってはいけない、
むしろ純粋な叫びであることが求められている歌詞なのだ。
叫びは、歌詞を超えるのだ。

 

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 <脱・ラブソングのタイアップ

 

この曲は前述の通り、「振り返れば奴がいる」のタイアップだった。

後に三谷幸喜の出世作として語り継がれることになるこのドラマ。

当時10代で月9にかぶれていた延長線で他のドラマを見ていた身としては、

内容よりも、
雰囲気がかなり不思議なドラマだったことと、
織田裕二が刺されて終わったことと、
織田裕二のもみあげが印象的だったことくらいしか記憶にない。

 

YAH YAH YAHも、毎週ラストにかかるのだが、
それもまた月9的に曲とストーリーが絡み合うイメージはなく、
終わりの歌を担当している。程度の印象だった。

 

でも、そこにこそ、
この名曲が生まれるチャンスがあったのではなかろうか。

月9以外の枠。恋愛でないストーリー。若手脚本家の挑戦。当時絶頂期の人気。

普通のタイアップではできない挑戦ができる土壌が十分に耕されている。

その条件を見事に使って、チャゲアスは、

SAY YESから染み付いたラブソングイメージを見事に覆すことに成功したのだ。

 

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実は、筆者が思う、
「どう逆立ちしてもそんな歌詞書けないと思う作詞家」というのがいるのだが、
そのうちの一人がASKAである。

 

その後の事件はもちろん人としてあってはいけないことだと思うが、
一人の人間が紡ぐ言葉として、ASKAの歌詞は、意味性を超えたパワーがある。

今こそ、
このサビの叫びの裏にあるCHAGEパートの歌詞を送りたい。

hang in there (頑張れ)

病まない心で