少しませた女の子の醒めた目線
【#004 there will be love there~愛のある場所 / the brilliant green (98年)】 の考察 /2018.10.18_wrote
初の日本語詞、初の8cmシングルでのリリースとなったブリグリが出した3枚目のシングル。
ラブ・アゲインというドラマのタイアップではあったが、ドラマは視聴率低迷により9回に短縮され終了している。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<脱・中学英語化するJpop>
なにせ、バンド名からして、the brilliant greenである。
せいぜい3語と言っても、
Dreams Come TrueやSouthern All StarsやEvery Little Thingという語彙が溢れていたJPOP界において、
突然辞書を引かねばならないバンド名。(しかも小文字!)
そして、曲名。
there will be love there~。
「ほほぅ。この構文はthere is構文と言ってね…そこに未来形が…」
みたいな塾講師の声が聞こえてきそうなタイトル。
それまでの「わかりやすさ」前提の10代JPOPリスナーにとって、
the brilliant greenとの出会いは、
JPOP英語中級編との出会いだったとも言える。
そんな名前に負けず劣らず楽曲ももちろん大人びていた。
ジャンプ漫画の「友情・努力・勝利」のような「元気・明るさ・高音」が世間に蔓延る中に
鳴り響く低音。湿り気。アンニュイな世界観。
この、別次元から現れたようにすら思えるこの曲は
じわじわと当時のヒットチャートを駆け上がりながら、
幼い耳を侵食していくのである。*1
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<それはクラスに一人はいる、少しませた女の子のような…>
この曲の持つ不思議な魅力はなんなのだろう。
倦怠感、演奏の上手さ、UKテイスト…。
プロに解説をさせれば色々な理由はあるのだろうが、
ざっくり個人の印象でいうと、
それはクラスに一人はいる、少しませた女の子のような魅力みたいな気がする。
クラス中が盛り上がっている時に、
先生の子供騙しには決して乗らず、
教室の隅でこっそり、醒めた目線で物事を見ているような女の子。
そんな女の子が探す愛って?という話である。
待つ時の楽しさも今では 空っぽで不安で一杯になる
悩みはいつも絶えなくて 不満を言えばきりがない…(1番Bメロ)
まるで手すりさえもない 真っ暗な闇の中にある階段を
あてもなく 降りていた(2番Bメロ)
そこに描かれているのは
恋愛対象ではなく、ただただ自分の世界の空虚や暗闇である。
それは
髪がなくて今度は腕を切ってみた(Cocco/ Raining)
のような自己犠牲や対象へのメンヘラ的思考から探すものでもない。
もっと自分の内側へ向かうような、
自閉的な世界の中に見出す一筋の希望としての愛なのだ。
曲もサビに入るとわずかな明るさをともなうのだが、
それでも最後、
信じている there will be love there
歌っている内容はポジティブなのに、曲の最後は下がるのだ。
かたやGLAYやL’Arc~en~Cielがラストのサビをあげまくっていた時代にである。
同級生から見た、ませた女の子の心はどこまでもオトナなのだ。
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<JPOPとアートディレクション>
このブリグリ特有の世界観は次の曲、
冷たい花にもそのまま継続され(この曲のサビの最後の下げは強烈!)
1stアルバム「the brilliant green」で結実する。
収録曲も当時は少なめの10曲のみ。
露出の増え始めた川瀬智子のビジュアルに頼らないジャケット。
発売告知CMもモノクロームで曲名とタイトル(同じだが)を言うのみ。*2
今では当たり前のようなことだが
当時オリコンチャート上位にで楽曲世界観を
アートディレクション*3まで含めて
トータルで作り上げている人は珍しかったように思う。
その後川瀬智子は逆にキャラクター世界観から別の音楽をやることになるのだが、
それはまた、別のお話。