長すぎるタイトル全盛期の稲葉流日本語ロック
【#003 愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない / B’z (93年)】 の考察 /2018.10.11_wrote
太陽のKomachi Angel以降7作連続でオリコン1位を記録し、
不動の地位を確立していたB’zの12枚目のシングル。モッくんと宮沢りえが主演したドラマ西遊記の主題歌でもあった。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<長すぎるタイトル全盛期>
いやぁ、長過ぎでしょ、流石に。
源氏物語の冒頭のような気配すら感じるこの長さ。
愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす・・・的に繋がっても違和感のないレベルである。
Wikipediaによると
CDのデザインが、B’zとしては初めての横向きデザインのジャケットということだが、
その大半の理由がこの長い曲名にある気がするのは私だけではないだろう。
(縦じゃタイトル入らないですもんね)
それにしてもどこから始まったか、長い曲名ブーム。
とりわけ93年は長い曲名豊作の年である。
同年リリース曲だけでも、
・このまま君だけを奪い去りたい(DEEN)
・愛を語るより口づけをかわそう(WANDS)
・別れましょう私から 消えましょうあなたから(大黒摩季)
・僕らが生まれたあの日のように(USED TO BE A CHILD)
・もっと強く抱きしめたなら(WANDS)
・刹那さを消せやしない(T-BOLAN)
と、枚挙に暇がない。*1
世の中はミニコンポ全盛期。
好きな曲をダビングしたカセットテープのインデックスを
キレイな文字やこだわりのラベルなどで作る人も多かった。
そこに訪れるこの長い曲名ラッシュ。
多くの人がラベリングへのこだわりを挫折したであろうことは想像に難くない。
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<譲らぬB’zサウンド、名目上のタイアップ>
約20秒。
なんともアジア的なイントロで始まるこの曲の冒頭。
なんとも西遊記世界*2に寄せたタイアップ的世界観だが、
そんなオリエンタルな気配は直後一発のギターでかき消される。
それはもう、曲における序章としての意味をもはや失っていて、本編と切り離されている印象を受ける。
もはやYouTubeでよく見る見たい映像の前のバンパー広告的存在と言ってもいいだろう。
イントロという名の20秒のタイアップ広告ののち、
ジャジャジャジャーン!それでは本編をご覧ください。という感じで、
(※2番のサビ終わりでも同じリフは入ってくるので完全な置いてけぼりではないのだが)
そこにあるのはいつものB’zサウンドだ。
ブルース気分のロックとでも形容すればいいのか
お馴染みの少し憂いを帯びた(日本人好みな)Jpopにおけるハードロックである。
このジャンルの開拓者であり第一人者としてのプライドなのだろう。
広告枠を与えたから、他はいつも通りやるよと言わんばかりに本編中の楽曲は
オリエンタル色を排したB’z流サウンドを貫くのである。
まさしく、音楽への愛のままに わがままに。
(他のライブ版だとイントロがこの感じじゃないのもあるくらいです。)
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<稲葉流日本語詞>
さて。実はこの曲、全編日本語である。(サビ前の投げ込みは除く)
これはB’zのシングルで初めてのことだ。
それまでのB’zといえば、
ちょっと皮肉を込めて言われる
「空へ In the sky~」的な歌詞使いの代表格だろう。
実際それまでのシングルを少し遡ってみると、
・理屈抜きで Now we can say! (5th/ 太陽のKomachi Angel)
・踊ろよLADY 眩いShow Time(6th/ Easy Come, Easy Go!)
・よく笑い泣き食べる Everyday (8th/ LADY NAVIGATION)
という具合である。
チェッカーズなどもそのような歌詞は多いが、
B’zは歌詞というよりも音感として英語を巧みに混ぜることで、
邦楽において洋楽性を感じさせ、
日本におけるハードロックを確立したと言ってもいいだろう。
(使われ方は少しずつ異なるが、その後のALONE(9th)、BLOWIN’(10th)、ZERO(11th)でも音感重視の英語は健在だ。)
それが、ここへきての、全編日本語詞。
時代の流れや偶然で済ましてしまうには、なんとも大胆な路線変更だ。
勝手な推測だが、
稲葉浩志のボーカルが、英語がなくても(=日本語だけでも)
音感として洋楽性を感じさせる域に達したからという解釈はできないだろうか。
実際、彼の日本語の語尾における独特の節回しは、それまでの英語的要素を多分に孕んでいる。
「日本語文→文末が英語」が多用されているEasy Come, Easy Go!と比較してみたい。
踊ろよ LADY
僕と君だけよ 消えないで
幸も不幸も Easy Come Easy Go!
一途な想いを 振りかざそう
日本語詞においても、
「で」は「DAY」や「DY」的に、「そう」は「SO WOW」的に歌い上げる彼の節回し。
洋楽的歌い方や文節の分断はサザンなどでよく語られる事だが、
B’zの場合は、叫びあげる文末の節回しにおいて
英語を使わずしても、洋楽的表現が可能にしたとも言える。
タイアップ。英語の放棄。
この2つの枷を背負いながらも、
B’zらしさを曲げないのが、彼らなりのロックなのだ。
圧倒的存在であり続けた理由が、ここにある気がする。