90sJPOP文化論

~90年代に10代だったオトナたちへ 90年代にヒットした曲を具体的に取り上げながら、音楽的側面と言うよりもむしろ、時代・文化的な側面から雑考するブログです。

TK流新ジャンル確立メソッド

【#043 寒い夜だから... / trf (93年)】 の考察

trf(現在はTRF)の5枚目のシングルで、初のオリコントップ10入りを果たすことになったヒット曲。
93年と94年で二種類のジャケットとMVが存在する。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<消えゆくB面と現実論としての〇〇mix>

  

 avexと小室哲哉のダンスユニット構想から
「GOING 2 DANCE」でデビューした後、
2作目、EZ DO DANCEで認知を獲得したtrf。
その勢いを止めることなく、
新人としては離れ業に近い
「愛がもう少し欲しいよ」「Silver and Gold dance」の二枚同時リリース。


そして、そこから1ヶ月を待たずにリリースされたのが
この5枚目のシングル、「寒い夜だから…」である。

 

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デビューから1年経たずしてシングル5作を世に送り込んだことになるのだから、
avex邦楽グループ第一号への期待は相当なものである。
この、他を寄せ付けぬ圧倒的速度でのリリースこそが当時のTKの真骨頂であろう。
山王工業のゾーンプレスのような圧力で他を圧倒し
次から次へと息をつく暇もなく新曲を排出し続け、
「誰だろう?」から「なんとなく知っている」を経由して、
「あぁ、trfでしょ」となるまでの道のりを最短距離で結びつける。

 

前年までデビューすらしていなかったアーティストが
翌年の「survival dAnce~no no cry more~」リリース時には
すでに当然のような顔つきで一位を獲得する存在にまで登り詰めるのだから、
肝いり案件とはいえ並大抵の仕事量ではない。

 

ある程度の評価を得られる音源をこの速度でリリースする弊害はどこにあるのか。
圧倒的量産体制の裏でこっそりと消えゆくのがB面(カップリング)の曲である。

この曲のクレジットを見てみよう。

1. 寒い夜だから…[ORIGINAL MIX]
2. 寒い夜だから…[INSTRUMENTAL]
3. 寒い夜だから…[ALTERNATIVE MIX]

前作4枚まではC/W曲が存在したが、
この曲では、ALTERNATIVE MIXという同じ曲のmix違いがクレジットされている。
この曲を境にtrfのCDクレジットにはおびただしい数の〇〇mixが並ぶことになる。

 

 

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  <読点のループが生み出す切なさ>

 


TRF / 寒い夜だから


寒い夜に自転車に乗っていたら生まれたというこの歌詞。
小室哲哉自身がこんなにスムーズにできた歌詞はなかったと振り返るぐらいだが*1
それでも独特の言語感覚はここでも光っている。
 

 

寒い夜だから あなたを待ちわびて
どんな言葉でも きっと構わないから

   (下線部「...」は歌詞ではなく筆者による記載)

 

タイトルの「寒い夜だから…」の、「…」に象徴されるように、
文章にしたときの文末がサビのラストぐらいしかほとんど存在しない。

そんな2人に もしなって 

かすんだ夢追って
近頃自分が戻ったとしても

 

もう何処にも いる場所さえなくて
都会の合鍵は今は置きざりで

 
まるで「北の国から」における純くんの「~なわけで」のように、
延々と繰り返される読点のループが、
恋人に会えない悶々とした想いを見事に描いていると言ったら買い被りすぎだろうか。

超高速で作り上げた曲の中に、
そんな意識的な狙いはないかもしれないが、
意味だけでなく音の感覚的にも切なさを表すリズムを生み出す歌詞を
感覚的に音をはめていく中で生み出せるのだから、
やはり恐ろしい才能だ。

      

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 <TK流新ジャンル確立メソッド>

わずか一年でチャートにおいてその存在を確立したtrf。
それは同時に日本におけるダンスユニットというものの地位を確立したと言ってもいい。

 

はじめてtrfを見た時の記憶を思い出してみる。

ニューヨークの街を舞台に
体を揺らして歌うボーイッシュなYU-KIの存在感と、
他の・・・メンバーの・・・なんというか・・・その・・・・取り巻き具合。

その名前からDJ KOOの存在は理解できるが、
SAM、ETSU、CHIHARU、この人たちは何をしているのだろう。と思った。
一見すると、ヘアメイクさんやマネージャーさんたちも一緒について行っているのかな。とも誤解されない印象だ。

楽器を演奏するでもなく、音楽に合わせて踊るダンサー。


今でこそオラついたレモンサワー軍団を筆頭にパフォーマーやダンサーを含むグループは数多くいるが、
CD至上主義時代。音源に関与しないメンバーにギャランティーを支払う文化は確立していないように思えた。
(もちろん、前提としてYU-KIも在籍していたZOOの存在抜きには語れないところではあるが)

 

未開のダンスユニットという地平を切り拓くこと。
年間5枚というハイペースのリリースも、〇〇mixという概念の浸透もTKによるそのための布石なのだ。

それまで4枚のシングルのうち実に3枚の曲名に「Dance」という言葉を
織り込みながらダンスユニットの印象を作り上げて行った中でのこのミディアムナンバー。

「3、四、銀。」
それはまるで羽生が将棋で勝利を決定づけるように放たれた一手である。

事実、ダンスイメージを持ちながらも
ファン層を外からも取り込み売り上げを大きく伸ばしたこの曲により
TK流ダンスサウンドは日本国中に拡がってことになったのだ。