スナック歌謡とシティポップの交差点
【#037 大丈夫 / 古内東子 (97年)】 の考察 /2019.07.18_wrote
恋愛の神様と謳われた古内東子の10枚目のシングル。
TBS日曜劇場「オトナの男」の主題歌であり、アルバムは50万枚を超えるヒットとなった。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。
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<スナック歌謡とシティポップの交差点>
ここ数年のJUJUを見る度に思い出すアーティストがいる。
それが、古内東子である。
都会的感覚と懐かしさが入り混じったようなアダルトな世界。
JUJUが「スナックJUJU」と銘打ち
楽曲・プロモーション・ライブ演出と
大の大人たちを巻き込んで戦略的に世に送り出す世界観を
90年代にまだ20代だった彼女は高い次元でやってのけていたように思う。
それも自然体で。
母音のAにEが混ざるような(時にEがIになるような)独特の発声、
元ORIGINAL LOVEの小松秀行の作り出す都会的なグルーヴ感にのせた甘くメロウな楽曲。
そこに乗る、女性の微妙な感情をすくい上げる歌詞。
ジャズやR&Bの要素を取り込んだ洋楽感溢れる音づくり。
大人の恋愛観を艶やかに描き出しながら、どこか歌謡曲的でもある。
なんと言おうか、東京なのに、地方を感じる感覚。
女性が上京して見た目は「都会的女性」なのに、
どこか根っこは変わらずで必死に演じているような振れ幅。ギャップ。
スナック歌謡とシティポップの交差点のような楽曲から垣間見えるのは、
そんなカッコよさと弱さの共存だったりする。
=大人。
苦くて甘くて、ちょっと酔っ払う。
高校時代の筆者には、そんなお酒のような世界に映っていたような気がする。
(免許を取りたてのデートでよくこの曲の入ったアルバムをかけて背伸びをし
「都会的男性」に振舞おうとしていたのはここでは内緒にしておこう)
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<恋愛の神様の「ねじれ」感覚>
都会的女性を演じる外見と中身のギャップ。
そんな不安定さは、
彼女の歌詞の世界でもその様相を呈している。
そして、そこにこそ古内東子が恋愛の神様と呼ばれる片鱗をうかがうことができそうだ。
うそつきたくない だけど 強がるしかない
あなたに会えない夜でも 大丈夫 大丈夫
「大丈夫大丈夫」と2回言うやつほど大丈夫じゃないヤツはいないと言う通説に漏れず、
この曲に出てくる女性も大丈夫ではなさそうだ。
そもそも、
歩きながら話している あなたの声が急に途切れる時
同じ街の中なのに 距離を感じて少し泣きたくなる
ような人間である。(この歌詞の掬い上げ方は見事だと思うのですが)
一緒に歩いているのに泣きたくなる恋愛中心主義の人間が、
全然会えていないのに、忙しいのは素晴らしいことと必死に言い聞かせた結果、
最後のダメ押しとして、呪文のようにして生まれる「大丈夫」なのだ。
幸せな時に満たされていない感覚が芽生え、
苦しい時に無理して自分に希望を見出すねじれた感覚。
それに加え、
正直と虚勢を行き来しながら
他人につく嘘に加え自分につく嘘まで混在させる歌詞が、
言葉に裏側の意味を持たせて、恋愛の神様を降臨させるのだろう。
だけど… だから…
よくよく聞いてみると、
接続詞の印象がなんとも強い曲だ。
結局は答えの出ない気持ちを探りながらあちらこちらに彷徨う感情こそ、
具体的な歌詞を超えて古内流恋愛ソングの真骨頂なのかもしれない。
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<大人たちに、極上の切なさを>
その後数々のアーティストへの楽曲提供や、
KREVAとのコラボなどを経て、
2016年には
名だたるレジェンドたちと名曲をデュエットするアルバム
『Toko Furuuchi with 10 legends』をリリース
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その艶やかで耳当たりのいいボーカルは健在。
デビューから四半世紀が経った、
ライブを中心に音楽活動を続けている古内東子だが、
少しラグジュアリーなスナックとして、
大人たちに、都会的歌謡曲で極上の切なさを届けて欲しいと思うのだ。