90sJPOP文化論

~90年代に10代だったオトナたちへ 90年代にヒットした曲を具体的に取り上げながら、音楽的側面と言うよりもむしろ、時代・文化的な側面から雑考するブログです。

実現しそうにない仮定法未来のLucky

【#035 Lucky / スーパーカー (98年)】 の考察 /2019.06.27_wrote

97年にデビューしたスーパーカーの2枚目のシングル。
ナンバーガールや中村一義、くるりなどと共に、新世代ロックバンドとして注目を集めた。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<八戸発の都会サウンドと10代デビューの衝撃>

スーパーカーとの出会いは、確か高校の終わりか大学に入りたての頃だったと思う。
まだCDの貸し借りが残っていた時代に、友人から一枚のアルバムを借りた。

 

「スリーアウトチェンジ」
スーパーカーのデビュー作にして最高傑作として呼び声の高いアルバムである。

 

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少し物足りなさすら覚えるほどにすっきりとしたジャケットの都会的感覚。

それでいて、これでもかというエネルギーを感じる19曲ものボリューム。
MD(当時はMD!!)にダビングするのに、ギリギリな感じの分量。

 

バンドサウンドでありながら
多分なエフェクト感と意味合いやメッセージというよりも
音楽に乗せた囁くようなボーカル。
シューゲイザーなどという言葉など知らなくても、
その独特な浮遊感に虜になり通学時に繰り返し聞いたものだ。

 

珠玉の名曲が並ぶ中でも、
ひときわ耳を虜にしたのがこの曲、「Lucky」である。

 

www.youtube.com

 

張り上げて歌うわけではないのに、
パワフルにかき鳴らされるサウンドの中を、
すっとくぐり抜けてダイレクトに鼓膜に届くフルカワミキのボーカル。
(関係ないけどくるりのばらの花のバックコーラスの精度たるや)
そこにそっと寄り添い重なるナカコーのボーカル

 

ナカコー、いしわたり淳治、フルカワミキ、田沢公大。

 

Youtubeもない時代。
CD以外の情報を掘り下げるほど音楽をコアに追いかけていたわけでもないので、
各々の存在を深く知っていたわけではないが、

筆者とほぼ同世代の人間が青森で
こんな都会的でクールな音楽を作り上げ、
10代でデビューしていたことは今考えても衝撃である。

 

  

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  <実現しそうにない仮定法未来のLucky>

得てしてサウンド重視のバンドは歌詞が軽視される傾向にあるが、
スーパーカーがそれにならないのは、
音圧を超えて届くボーカルに加え、いしわたり淳治(当時の表記は「石渡淳治」)の
研ぎ澄まされた言語感に他ならない。

 

余談だが、
筆者は、いしわたり淳治のWORD HUNTというサイトが大好きで度々訪れている。
*1

スーパーカー解散後作詞家として活躍する氏の言葉に対する冷静な分析には
いつも新鮮な発見がある。

 

 

閑話休題。
Luckyの歌詞について触れていこう。
 

 

「あたし、もう今じゃあ、

あなたに会えるのも夢の中だけ...。

たぶん涙に変わるのが遅すぎたのね。」

 

駆け抜けるように爽やかな曲調に対して、
切ないフレーズ。

 

それでもいつか、
少しの私らしさとやさしさだけが
残ればまだラッキーなのにね。

 

タイトルに対しての逆説的アプローチに加え、「なのにね」が秀逸だ。
フルカワミキのボーカルを想定しての文体ということもあるが、

 

それに加えここで言いたいのは、
英語で言う
「起こりうる可能性」に使われる「if」ではなく、
「起こりそうもないことを知っている可能性」に使われる「I wish」とでも言えばいいだろうか。

「それでもいつか」という未来への願望を想像しながらも、
「まだラッキーなのにね」と、決して実現しそうにない未来であることを知っている感傷を呼び起こさせる四文字なのだ。

 

   

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 <もうひとつのスーパーカーらしさ>

 

その後、
砂原良徳をプロデューサーに起用したり、
電子音を織り交ぜエレクトロニカの要素が色濃くなっていくスーパーカーだが、
他に例を見ないその音楽性と存在感は、
解散から15年近く経とうとしている今も色あせない。

 

そんな
スーパーカーらしさを別の角度から作り上げているのが
木村豊氏の存在であろう。

 

ロールシャッハテストのようなジャケットや、
CGモデリングのようなジャケット。
人間が映っていてもどこかドライで人間味を排除したデザイン。

 

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スピッツや椎名林檎(事変も含め)、赤い公園などのアートワークを手がける
彼の作り上げたビジュアルは
音楽とは別に、スーパーカーのアイデンティティとして、
経年劣化することがなく今の時代でも異彩を放っている。

 

普段使えないようなアイデアをそのままできるので、(中略)本当に「実験の場」という感じでした。
*2

 

 

もしかしたら、
アルバムごとに新しい方向性を打ち出し、進化し続けたスーパーカーこそ、
壮大な実験だったのかもしれない。
その先にあるのが(再結成はほぼないであろう形の)解散という結果になろうとも。

 

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それでも僕に、
少しの男らしさとか広い心が
戻ればまだラッキーなのにね。

 

「起こりそうもないことを知っている可能性」にわずかな願望を抱きながら
聴く過去の名曲たち。色褪せるはずがない。