90sJPOP文化論

~90年代に10代だったオトナたちへ 90年代にヒットした曲を具体的に取り上げながら、音楽的側面と言うよりもむしろ、時代・文化的な側面から雑考するブログです。

玄人受けとミリオンセラー

【#023 KNOCKIN’ ON YOUR DOOR/ L⇔R (95年)】 の考察 /2019.03.21_wrote

黒沢健一、黒沢秀樹の兄弟に、兄、健一の親友木下裕晴を加えたユニット、L⇔Rの7枚目のシングル。
前作「HELLO, IT’S ME」のポッキーCMタイアップにより知名度をあげた中でのリリースで、ミリオンセラーを達成する。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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激戦時代のミリオンセラー

 

95年のミリオンセラーは、28枚。

 

小室ファミリー(H Jungle with T, trf)

小林武史プロデュース(ミスチル、マイラバ、桑田&ミスチル)

B’z、ドリカムとヒットの常連たちが過半数を占める中、

そこに名を連ねているのがL⇔Rの、「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」である。

L⇔R史上最大のヒットを記録することになったこの曲は、

月9主題歌起用もあり、

「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」の連続首位の座を止め、1位を記録した。

 

 

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I’m knockin’ on your door
いつもすぐせめぎ合う lonely
You’re nothing but a girl
君だけの夢に出会いたい

 

この曲がラジオから流れてきたとき
10代半だった筆者には冒頭の英語が聞き取れず、
I’m knockin’ on your doorを
♩あの日の夜を~?
♩あの日の湯豆腐~?

と適当に空耳して過ごしていたが、
まさにドアをノックするような冒頭がとても印象的だった。

 

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伸びやかで少し甘い声。
L(左)分けの髪型とR(右)分けの髪型。
いわゆるBeing系のノリや小室サウンドとも違うその存在は、
新しいアーティストの到来を感じさせた。

サビ始まりと展開のわかりやすさ。
随所に英語を織り交ぜる歌詞は少し前の時代を感じる部分もあったが、
逆に懐かしさすら感じさせるような、
決して下品なものにしないような音楽の強さがそこにはあったと記憶している。

 

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 <ポッキー四姉妹物語>

ただのミーハーだった筆者は知らなかったのだが、
L⇔R、デビュー前から音楽通の間では若い間からその才能を嘱望される存在だったらしく、
デビュー当初もコアなファンの間では知られる存在だったらしい。

ただ、玄人的音楽評価と、ヒットが必ずしも一致しないのが世の常。
玄人受けの音楽性が聴く人の間口を狭くする場合もあるし、
逆に、聴く人の少なさが玄人受けを作り出す込み入った事情もままある。

そんな音楽が大衆性を獲得するのは、
この時代、大抵こんなCMひとつだったりする。

 

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93年からポッキーのCMで始まったキャンペーン、
ポッキー四姉妹物語。

清水美砂、牧瀬里穂、中江有里、今村雅美が出演したこのCMは、
L⇔Rが広く世に知られるようになったきっかけと言えるだろう。

そこでかかる音楽が、
「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」の1つ前のシングル、「HELLO IT’S ME」だ。

 

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爽やかな旋律と甘い声。
まさに、ポッキーの世界観そのもののような音楽。

 

ポッキーのCMといえば、その後もたくさんのヒット曲を世に送り出しているが、
この一曲が、90年代における「ポッキーらしい曲」を最初に定義したといっても過言ではない。

 

さらに、このキャンペーンはそれだけに収まらなかった。
この四姉妹の暮らしを描くシリーズは、スピンオフとして映画化されるほどの人気で、
今のメディアミックスの走りのような形で立体的に展開されていった。

ポッキーらしい音楽。
裏を返すと、自分たちの音楽世界に合う商品との出会いにより、
L⇔Rは大衆性を獲得することになったのだ。

 

 

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 <その後のL⇔R

 

「HELLO IT’S ME」、「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」で
一躍その人気を全国に轟かせたL⇔Rは、
翌年(96年)、初の武道館公演を実現するなど、
大物バンドへの道のりを歩いていくように見えた。

 

しかし、
その翌年(97年)、活動休止。

のちに弟の黒沢秀樹が
「メインのソングライターは兄の健一で、彼がエンジンのようなものだった。エンジンがぶっ壊れちゃったんですよ」*1

と語るように、
突然のヒットとファン層の広がりに、精神的重圧を感じていたことは想像に難くない。

 

そして、2016年。
黒沢健一の訃報が届く。

 

48歳という歳を思うとあまりに短い命であるが、
その才能がJ-POP激戦時代につくりあげた音楽は、色褪せることはない。