90sJPOP文化論

~90年代に10代だったオトナたちへ 90年代にヒットした曲を具体的に取り上げながら、音楽的側面と言うよりもむしろ、時代・文化的な側面から雑考するブログです。

純朴アーティストの日本語感覚

【#017 冬がはじまるよ / 槇原敬之 (91年)】 の考察 /2019.01.31_wrote

3枚目のシングル、「どんなときも。」の爆発的ヒットで一躍時の人となった槇原敬之の4枚目のシングル。
サッポロビール「冬物語」のCMソングとして使用され、以降時代を超えて定番の冬ソングとなっている。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

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<純朴アーティストという特異性

91年。
ロックは不良のやるもの。
そんな時代は終わりを告げようとしていたが、

それでもアーティストというのは、
オシャレだったり、カッコつけてたり、少しチャラい印象があったり、
どこかウェイウェイしている雰囲気や
なんかスクールカースト上位イメージというか、そういう節があった。

 

「どんなときも。」のヒットによる槇原敬之の登場は、
飼育係のメガネくんが突然マラソン大会でトップを取るような衝撃だったように思う

 

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(大ヒットしましたね)

 

そして、大ヒット収まらぬ中、リリースされたのがこの曲である

 

www.youtube.com

 

8月の君の誕生日

半袖と長袖のシャツをプレゼントしたのは

今年の冬もそれからもずっと僕らが

一緒に過ごせるためのおまじない

 

 

何だろう。

槇原敬之の純朴100パーセントの声から放たれる純朴100パーセントの歌詞。

きっと筋斗雲にも乗れるであろう心の清らかさ。

こんな健気な歌を歌う男性は

アーティストという人種のイメージにはなかったのだ。

 

 

そもそも、こんなヤツ実在したら、

女性としてはちょっと引くんじゃないか・・・と思ってしまう。

 

「ねぇ、エミは誕生日、彼氏に何もらったの?」

「えっとぉ、半袖と長袖のシャツ」

「えー何それ?笑」

「なんかぁ、冬もその先も過ごせるためのぉ、おまじない?だって」

「お・ま・じ・な・い~?(爆)」

 

となりそうなものだ。

「おまじない」って。

 

この小中学生ですら少し引くような

「絶対目にすることのない、もはや絶滅危惧種のような純朴さ」が

「どこかでスレて純朴を失ってしまった」自分を映し出す鏡となって、輝き出すのだ。

  

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 <付き合ってるのに片想いの不思議>

 

歌全体を通じて
女性であろう交際相手の天真爛漫な魅力が描かれる代わりに、

この歌の主人公といったら、
1番Aメロで誕生日プレゼントを送った以外は恐ろしいほど何もしない。

 

髪をほどいたり突然泣いたりするのを、ただ驚きをもってみていたり、
ビールを飲む横顔をいいねと思ったり、
ただただ、
交際相手を眺めていいねいいねと言い続けているのだ。

 

「君は君らしく自由に過ごしているのが一番素敵だよと言える寛大さ」
と言えば聞こえはいいが、
「何もできずにただただ見つめている主体性のなさ」
とも取れる。

 

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恋愛ソングとしては片想いの方が歌になりやすいのは確かだが、
この歌では
「付き合っているのに片想い状態」という不思議な感覚を覚える。

 

距離を縮めたいのに、縮められない。
両想いと片想いが交差するそんな奥ゆかしさが、
この歌の魅力かもしれない。

 

そのちょっと踏み出したい主人公の想いが、
まさにサビの言葉遣いから見て取れる。

 

冬がはじまるよ

 

「冬がはじまる」のような想いを抑えて情景描写に込めるクールさもないし、
「Winter has come!」のような、英語で言ったみたカッコつけ感もない。
「冬がはじまるぜ!」のような、相手を牽引するような男らしさもないし、
「冬がはじまるね」みたいに、相手に共感してもらう自信もない。

付き合っていて誕生日を祝う仲でも、
純朴な男は、
ちょっとだけ頑張って距離を縮めようと、「よ」をつけるのが精一杯なのだ。

  

 

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 <私小説的なアルバム、君は僕の宝物

 

もちろん、
この歌の純朴感というか、純粋さを支えているのが、
人間・槇原敬之である。

そして、
人間・槇原敬之の「純粋さ」こそが最大の武器であろう。

 

歌は作品であるから、
作家と小説の中の主人公がそうであるように、
アーティストの人生とは歌の世界は無関係であっていいのだが、

槇原敬之の場合は、
歌詞・声・人間の全て純粋さという部分でシンクロし、
(戦略的にそうだった部分もあるかもしれないが)
槇原敬之の私小説のように聞こえるのだ。

 

このことは
「君は僕の宝物」
に集約されているといっていいだろう。

 

個人の上京体験をベースとした楽曲「三人」
同じように故郷を思う友人を想う気持ちを素直に綴った「遠く遠く」と、
私小説的作品が2曲収録されている。

 

極めて個人的な歌でありながらも
名作として評価され高い共感を得るのは、
彼の純粋な感受性を通して見つめる世界が、
普通の人が失った大事なものを探し出してくれるからかもしれない。

 

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今年、50歳になりながらも、
少年のような純粋さを持ち続ける彼に世界はどんな風に見えているのか。

そしてそこからどんな歌を生み出してくれるのか。

 

これからも、ぼくを油断させないでもらいたい。
(もちろん、歌手活動以外のお騒がせはNG)