90sJPOP文化論

~90年代に10代だったオトナたちへ 90年代にヒットした曲を具体的に取り上げながら、音楽的側面と言うよりもむしろ、時代・文化的な側面から雑考するブログです。

ディーヴァに見るJPOPの分岐点

【#014 情熱/ UA (96年)】 の考察 /2019.01.10_wrote

UAの4枚目のシングルであり、UAという名前を一躍有名にした出世作。
じわじわとロングヒットを続け、UA作品の中でチャートイン最多を数える。
この曲が、当時の10代にどのように映ったのかを考察してみたい。

 *************************************************

<安室奈美恵が歌ったUA

 

この曲をヒットさせたのは安室奈美恵だと思っている。

 

かつて、
三宅裕司、中山秀征や赤坂泰彦の進行のもと、
ある種スナックのような状態で
様々な人たちがその時々のヒット曲を歌うゆるめの音楽番組があった。
その名も、『THE夜もヒッパレ』。

 f:id:takuyasasaya:20190107172012j:plain

 

そこに
安室奈美恵with SUPER MONKEY’SやSPEEDなど、
これから売り出したいであろう若手アーティストがサブキャストとして配され、
テレビ出演経験とヒット曲を歌う機会を与えられていた。

 

96年といえば、
前年から小室哲哉プロデュースにより完全ソロになった安室奈美恵が

トップアーティストとなり、アムラーが流行語大賞を取った年。

「安室奈美恵」という存在は売り出したい若手アーティストという域をとうに越えていた。

 

さらにはその音楽性においてもちょうどDon’t wanna cryをリリースし
ユーロビートからR&Bへと方向転換が見え始めたタイミングである。

 

そこで、チャート圏外ながら注目曲として歌われたのが、
まさにこの曲、「情熱」だったのだ。
(いやぁ、youtube無いですねぇ。誰か上げて欲しいものです)

 

イントロと呼ぶにはあまりに短いドラムを抜けて、歌が始まる。

きっと涙は 音もなく 流れるけれど
赤裸々に 頬濡らし 心まで溶かし始める

 

スナックのカラオケ的なTV画面の中で
その時間だけが異次元空間のように見えた。

 

誤解を恐れず言うと、
彼女が自身の歌を歌うよりも、全力に見えたし、カッコよく見えたのだ。
それはR&B色を打ち出したトップアーティストとしての、
本気でいいと思う楽曲に対するリスペクトに思えた。

 

そんな楽曲が、注目を集めないわけがない。

ネットを探しても見つからので筆者の記憶だけが頼りだが、
この日のTHE夜もヒッパレ放送の翌週、
情熱が一気にチャートを駆け上ることになった(と記憶している)。

 

夜もヒッパレで楽曲を知った人が原曲に触れることで、今度は

ヴォーカリストとしてのUAの才能に驚かされることになるのだ。

  

 *************************************************

 <ディーヴァという言葉の浸透>

 

www.youtube.com

朝本浩文という才能が織りなす
クラブミュージックやR&Bという言葉だけでは片付けられない、

 

  

ダブの要素やエキゾチックな民族音楽の要素まで織り込んだ楽曲。

そこに身体性を与えるのが、UAの独特の声である。

 

歌詞に憂いと肉体性、さらには自然すら感じさせるヴォーカル。
(そういえばUAのシングルには、HORIZON、太陽、月、雲というように自然との繋がりを感じさせられるものが多い)
そもそも、UAの意味だって、スワヒリ語で花と死ですからね・・・。
大地と肉体がつながるような精神世界。

それが結実したのが、
ファーストアルバム、「11」だろう。

f:id:takuyasasaya:20190107172438j:plain


このアルバム前後から、
MISIAやbirdなど(ひいては宇多田ヒカルに至るまで)、
クラブ系ミュージックやR&Bを歌うアーティストを中心にディーヴァという言葉が台頭し始める。

明確な定義は無さそうで、その後この言葉の意味はどんどん拡大していくことになるのだが、
当初のイメージとしては、
ビジュアルに頼らない(orビジュアルを売りの要素としない)、実力派シンガー。
ということになるのだと思う。
(※UAもbirdもジャズクラブで歌っているところをスカウトされデビューしている)

J-POPというショービズ世界では、
アーティストはどうしてもメディア露出やビジュアルなどの
「歌唱力と関係ない部分」で評価されることが多分にあるのだが、
このディーヴァという言葉が浸透することにより、
歌唱力というものに対する評価の正当性が高まったような時代であった。

 

*************************************************

 <J-POPの分岐点

f:id:takuyasasaya:20190107172646j:plain

 

UAの出現は
それまでのメディア戦略やタイアップがチャートを埋めるJ-POPシーンが、
アンダーグラウンドを含めたカルチャーとして成熟し
世の中に広がる音楽と混ざりはじめる分岐点だったような気がする。

 

男性アーティストにおいて、
ちょうどヒップホップが台頭してきた時代に呼応するように、
女性アーティストは
クラブ系を中心としたプロデューサーの楽曲のR&Bを取り込んで歌い上げる。

 

藤原ヒロシ、大沢伸一、朝本浩文。
見方によっては「キャッチー」「売れ線」とは対極の、

クラブミュージックをベースとした音楽がUAという身体性を手にして

メジャーシーンに流入しはじめることで、

 

90年代後半のJ-POPシーンは
それまでのテレビ的・芸能界的要素と
サブカルチャー→カルチャー要素が混ざり合う
ノンジャンル総合格闘技へと変化していくのだ。

 

デビュー20年を超え
自身のリリースこそペースは落ちているが、

元BLANKEY JET CITY浅井健一とのAJICOを結成したり、(2000-2001)
フィッシュマンズのゲストボーカルを務めたり、
菊地成孔とのcure jazz、
TEI TOWAの「Sugar」
小西康陽のPIZZICATO ONEの「悲しいうわさ」(←なんと一発録り)など、

どれだけ時代が変化しても、
その唯一無二のヴォーカルへの評価は相変わらず高い。

 

UAという才能が、

ジャンル分けで括りがちなJ-POP界に多様性をもたらしたのは確かだろう。

 

www.youtube.com